03-06-05 蒙求 中1

李充四部りじゅうしぶ 井春五經せいしゅんごけい

李充(晋)&井丹(後漢)

 東晋中期ごろ、典籍についての注釈が交錯し、その内容が煩雑になっていた。そこを李充が整理し、四部にまとめる。政府も李充のまとめた内容を忠実に守るべし、とお達しを下した。

 光武帝の治世後半ごろに活躍した隠遁文人、井丹。あざな大春。かれは煩雑にして多岐にわたる五経の内容を完璧に把握していたため、「五經紛綸たり、井大春」と呼ばれていた。

 多岐にわたる経典の言葉を知悉していた二人。


秦彭攀轅しんほうはんえん 侯霸臥轍こうはがてつ

秦彭(後漢)&侯霸(後漢)

 後漢で代々高官の地位にあった秦氏の末裔、秦彭。彼が赴任した郡の任期を終えて去ろうとすると、郡の人々がその轅(ながえ=車と馬とを繋ぐ棒)によじ登り、泣きわめいたという。

 王莽によって地方長官に任じられた侯霸は、王莽が敗れれば当然罷免される立場であった。しかしその統治に恩義を感じた者たちが、侯霸が去ろうとする車の前に引かれている轍に寝そべり、その行く手を遮った。

 立ち去ろうとする名地方官を慕う人々の姿。


逢萌挂冠ほうほうかいかん 胡昭投簪こしょうとうしん

逢萌(後漢)&胡昭(三國志)

 逢萌は前漢末に冠たる学者だったが、王莽おうもうに息子を殺されたため冠を都の門に掛け官を辞し、地方に隠遁し、その後二度と出仕はしなかった。

 後漢末の隠者、胡昭。彼は曹操そうそうよりの招聘に一度こそ応じたのだが、もれなく冠を脱ぎ、また冠を固定するためのかんざしを投げ出し、隠遁した。

 時の権勢者の招聘をはねのけた隠者ふたり。

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