03-06-04 蒙求 上3

黄琬対日こうえんたいじつ 秦宓論天しんひつろんてん

黃琬(後漢)&秦宓(三國志)

 後漢の名士黄琬は、七歳の時に皆既日食を目の当たりとし、徐々に日蝕が収まるさまを見て「あれ、太陽の欠け方、月にそっくりだね?」と喝破し、周囲のものを驚かせた。

 三国蜀に仕えた秦宓。呉に使いとして向かったとき、呉の人間から「天に頭があるか?」「耳は?」「足は?」と聞かれたので、全部詩経を引用して答えきった。

 天文に関するトンデモネー見識学識を示した二人。


魯恭馴雉ろきょうじゅんち 宋均去獸そうきんきょしゅう

魯恭(後漢)&宋均(後漢)

 後漢章帝しょうていの時代に地方長官になった魯恭。その任地における統治ぶりは神がかっており、「なぜか蝗害も及ばず、獣や雉まで馴致され、幼子ですら徳を知る」とまで視察の人間に言い切らせた。

 光武帝こうぶていの時代、南方の地方長官となった宋均。彼の統治もやはり神がかっており、当時虎の害に悩まされていたその地から、官吏の教化によって虎を追い出した。へ、へー……?

 地方統治には徳化が肝心だね!


梁竦廟食りょうしょうびょうしょく 趙溫雄飛ちょうおんゆうひ

梁竦(後漢)&趙溫(後漢)

 後漢明帝めいていの時代の文人、梁竦。めちゃくちゃすごい文人だったが、朝廷での活躍はできなかった。皇帝の宗廟に配食されるような活躍もできないなら引きこもった方がマシだと、本当にそのまま引きこもった。もっとものちに立身して梁冀りょうきにはめられ死ぬのだが。

 後漢末期、長安統治の補佐官に任じられた張温は「大丈夫まさに雄飛すべし、いづくんぞよく雌伏せん!」と言いきって官を捨て立ち去った。のだが,のちに長安が都となると、そこで三公に任じられた。

 すげえやつになるぜえ! なったぜ!!


馮衍歸里ふうえんきり 張昭塞門ちょうしょうさいもん

馮衍(後漢)&張昭(三國志)

 漢の更始帝こうしていに仕えた馮衍は光武帝こうぶていに最後まで抵抗するも、更始帝死後光武帝に仕えた。とは言え光武帝からはまるで重んじられず、故郷に帰還した。

 三国呉の重鎮、張昭。孫権そんけんの重要な相談役だったが、北方の自立勢力からの称藩を孫権が受け入れてしまったため、それに猛反対していた張昭、怒って自宅に引きこもった。ちなみに孫権はその門を焼くことで張昭を自宅から引きずり出した。

 意見が通らなかったことを理由に引きこもった二人。

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