04-07-04 蒙求 東晋南朝分 下
衛玠(晋)&王恭(晋)
西晋から東晋に疎開した名士衛玠は非常に美しく、幼いころ羊の引く車に乗っていた姿を人々から「玉人」と称えられていた。ただし最後は心労で死亡。暗殺説も疑われている。
東晋末の名士、王恭。やはり彼も見目麗しく、鶴の羽で織った着物を羽織り町中を歩いていたところを「神仙かのようだ」と称えられている。しかし最後は政争に巻き込まれ死亡。
美人薄命。えっ違う?
劉惔(世説)&王恭(世説)
東晋中期の名士、劉惔。彼は同僚の何充の穏やかな飲みっぷりを心地よく思ったため、彼のためにうちの酒蔵の酒をすべて開けてみたいのだ、と語った。
東晋末の名士王恭は名士のあり方について「奇才はいらん、酒を痛飲し、楚辞でも読んで暮らすのが良いのだ」と語った。
お酒は社交、お酒は生存。
孔稚珪(南史)&周顒(南史)
南斉の時代を生きた孔稚珪は政務に関わるのを良しとせず、自宅の庭に雑草を生い茂らせて蛙を呼び寄せ、その鳴き声を聞くのを酒の肴としていた。
周顒はそんな孔稚珪と同じく隠者暮らしをはじめしていたが、のちに宮中入りし、立身。「おまえのふるさとにいる鶴は恨みの鳴き声を上げるだろう、もはやおまえに返る先はないぞ」と詩に仮託して言いつけた。
隠者に取り、士官は裏切り。
陶潜(晋)&劉惔(晋)
東晋末の大詩人、陶淵明。彼が酒がないのを紛らわすために菊の花を摘んでいたら、太守が酒を送ってきてくれたという。
東晋中期の風流人、劉惔。彼の友人である許絢が死亡。その後の宴席にて、美しい満月を眺めながら「どれほど月が美しかろうと、いまこの場にはもう彼がいないのだ」と慨嘆した。
人々を引きつける、その風雅さ。
陳遺(南史)&陶侃(晋)
東晋末に起こった、孫恩の乱。この討伐に駆り出された陳遺は炊き出しの窯の底にこびりついたお焦げが大好きで、お焦げをとにかく集めていた。やがて敗北、軍が散り散りになると陳遺はその集めたお焦げで食いつなぎ、無事に家に戻る。陳遺を心配していた母は心配のあまり視力を失っていたのだが、陳遺の帰還を知ると視力を取り戻すのだった。
東晋初期を代表する名将のひとり、陶侃。彼は若い頃酒による失敗をしでかしており、母と一定以上の酒は飲まないようにすると約束し、以降それを高官になっても貫き通した。
食べ物飲み物が結ぶ、母との縁。
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