02-05 武帝劉徹

02-05-01 漢二 武帝劉徹 1

 武帝ぶてい劉徹りゅうてつ。即位した年に元号を設立、「建元けんげん」とした。賢良・方正・直言・極諫の士を集め、その採用試験に武帝自身も参加した。彼らのうち「董仲舒とうちゅうじょ」は言っている。


「勉強こそが第一である。見聞が広がり、世に見通しが立ち、良き振る舞いのなんたるかを知り、そうして徳が日々たちのぼり、大功を為し遂げることができるようになる」


 また、こうも言う。


「人君が心を正せば朝廷も正しく治まり、さすれば百官、万民もまた正しさのうちに帰す。さらには遠方、国外も治まるようになり、邪気が国を乱す隙を与えなくなる。こうして万物自然が調和し、王道は治まる。

 陛下は既に徳高く、聡明にして人民を愛しておられる。しからばなぜ教化がいまだ行き渡りきらぬのか。例えば琴の調律が甚だしく狂っているときは、一度弦を張り直す必要がある。政でも同じことが言える。機能しないこと甚だしき政令があれば、それをふたたび機能するよう作り替えねばならぬ。

 漢が天下を得てこのかた、つねに国が治まるべく欲してきたにもかかわらず良くなっていないのであれば、法を見直す必要がある」


 更に、こうも言う。


「士人を養うのに太学に勝る機関はない。ならば太学を興し、博識聡明なるものを招き、天下の士を養われんことを」


 加えて言う。


「郡守や県令は民の師にして長。天子の恩沢を受け、またそれを民に行き渡らせるべき存在。ならば官吏のうちでも特に賢良なる者を選び出し、各年三人ずつを皇帝に推薦させるべきである」


 しかも言う。


春秋しゅんじゅうには政の肝要が載り、天地自然の法則、古今の常識が載る。しかるに現在は様々な学問が雑居し、人々の語る道筋が様々に異なっている。愚考を申し上げれば、礼・楽・射・御(馬術)・書・数(算術)のほか、孔子こうしが説いた学問以外のものはすべて撤廃するのがよい。そうすれば紀綱はひとつにまとまり、法度も明確となり、民も何に従うかを見出しやすくなる」


 これらの回答を武帝は受け入れ、董仲舒を江都こうと相に任じた。



蒙求もうぎゅう

王充閱市おうじゅうえつし 董生下帷とうせいかすい

 後漢末の王充は貧乏であったため、市場で本を立ち読みしてその内容を暗記、その学識をもとに立身した。

 前漢武帝期の学者董仲舒は春秋を精読するため、窓にすだれを垂らし、三年間外部との関わりを断った上で精読した。その学識は当時に及ぶ者がいなかったという。

 ガチモンの学びにより立身を遂げた二人。

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