03-01-09 漢六 光武帝劉秀 9

 更始帝こうしていの時代にはりょう王として立てられ、更始帝が滅ぶと皇帝を自称した勢力に「劉永りゅうえい」がいた。しかし配下に斬られ、配下もまた光武帝に降伏した。


 そんな劉永に立てられた王の中に「張歩ちょうふ」がいた。張歩ははじめ光武帝より東萊とうらい太守に任じられていたのだが、のちに劉永よりの封爵を受けてしまったのである。このため耿弇こうえんによる攻撃を受け、しばしば大敗した。

 祝阿しゅくあ斉南さいなん臨菑りんしといった城が落ちたところで、光武帝が臨菑にまで出向き、耿弇の軍を労う。

「以前将軍と南陽なんようにいた時、ぼくに大きな軍略を講じてくれたものだったな。あのときはなかなか話がかみ合わずにいたものだ。しかし志の強き者とは、かくも大事を為し遂げてくれるものなのだね」

 ついには張歩も降伏し、青州せいしゅうもことごとくが光武帝のもとに収まった。


 呉漢ごかんらは劉永が立てた海西王の「董憲とうけん」や叛将の「龐萌ほうぼう」らを処断。こうして長江ちょうこう淮水わいすいの間の地域や山東さんとうも平定がなされたが、いっぽうで隗囂かいごう公孫述こうそんじゅつといった群雄は未だ健在であった。とは言え光武帝は、兵が連戦に疲労しているのを見て取り、言う。

「この両名については軍を発しないようにしておきたいのだ」


 このころ、馮異ふうい長安ちょうあんより帰還。光武帝は諸臣下に馮異を紹介して言う。

「かれは、ぼくが起兵したときには主簿の任についていた。けれどいまや、ぼくのためにいばらの中にまで身を投げ込み、関中を平定してくれたのだ」

 あわせて馮異にも言う。

「きみは河北の苦難においては豆粥を煮出し、麦飯をよそってくれた。これらの厚恩に、ぼくはいまだ報いてやれた気がしていないのだ」

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