03-10-03 蒙求 三国志分 3

端康相代たんこうそうだい 亮陟隔坐りょうちょくかくざ

韋端・韋康(三國志)&紀亮・紀陟(三國志)

 後漢末、涼州刺史であった韋端は中央に高官として召喚されると、息子の韋康がその後釜として涼州刺史となった。

 呉の孫休の時代、中書令として働いていた紀陟の父、紀亮がやはり中央に尚書として召し出された。親子が側にいるのもあれだろうと言うことで、朝廷における席次を敢えて離された。

 親子がともにめっちゃ高官についた。


董遇三餘とうぐうさんよ 譙周獨笑しょうしゅうどくしょう

董遇(後漢)&譙周(三國志)

 後漢末の学者、董遇。弟子のひとりが「書物を読む暇がない」と洩らすと「冬が年の余り、夜が日中の余り、雨が晴れ間の余り。この三つの余りに読むのが良い」と語った。

 三国蜀の学者、譙周。彼は書物を読んでいるとき、うまく自分の中で物事が繋がると、ふふっとひとり笑ったという。

 学問につとめるふたり。


將閭仰天しょうりょぎょうてん 王凌呼廟おうりょうこびょう

將閭(史記)&王凌(三國志)

 秦に仕えた將閭は趙高ちょうこうの策略にハマり、処刑されることになった。そこで天に向け三度、「わたしに罪はないのだ!」と叫び、自殺した。

 曹魏に仕えた王凌は司馬懿しばいとの権勢争いに敗れ、処刑されることになった。このとき既に死亡している魏の名臣の霊廟の前で「そなたならわしの無実が分かるであろうに」と呼びかけ、毒を飲んで死んだ。

 無実を訴え、死んだ名臣たち。


洪喬擲水こうきょうてきすい 陳泰挂壁ちんたいかいへき

殷羨(晋)&陳泰(三國志)

 東晋初期の名士、殷羨。彼が南方の郡に赴任することになったとき、当地に出向くついでに、と多くの手紙を届けて欲しい、と頼まれた。いったんは受け取るも、「なんで郵便屋さんごっこせにゃならんのだ!」と、手紙をすべて長江にぶちまけた。

 魏晋交代期の名臣、陳泰。彼が地方長官として出向したとき、多くの者がまいないを陳泰の元に持ってくる。陳泰、一旦すべてそれらをあずかるも壁に掛けたままにしておき、手をつけず、中央に帰還するときにすべて返却した。

 おれに頼るな。よそでやれ。


鮑照篇翰ほうしょうへんかん 陳琳書檄ちんりんしょげき

鮑照(南史)&陳琳(三國志)

 劉宋文帝の時代の文人、鮑照。彼は無名だったが、時の文学サロン主宰劉義慶りゅうぎけいに自らの文章を叩きつけ、その才覚を示して見せた。

 建安七子のひとり、陳琳。彼は袁紹えんしょうの下で曹操そうそうを悪し様にこき下ろす檄文をものし曹操を怒らせたが、むしろその文才に惚れ込まれ、曹操に採用された。

 その文才、将をも動かす。

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