03-10-02 蒙求 三国志分 2
楊修(後漢)&羅友(世説)
曹操に仕えた楊修はあらゆる物事に対し、迅速なスピードで対応した。例えば曹操が鶏肋を眺めていたときに「漢中に大したうまみはないが、さりとて捨てるのは惜しい」と悩んでいると見抜き、漢中からの撤退を進言したと言われる。
東晋後期の文人羅友は、桓温の蜀討伐に従軍。ぼーっとしているように見えたが、通過した場所の道路の広さ、周辺の植生などを完璧に記憶していた。このため蜀討伐の記録をの残すとき、大いに情報補填に貢献した。
抜群の対応力、抜群の記憶力。
何晏(三國志)&杜乂(晋)
曹操の下に仕えた文人
東晋の名士
その顔が白かったり、ぷるぷるだったり。
何晏(世説)&郭奕(晋)
漢末の大文人、何晏。彼は抜群の文才を示していたが、同じく凄まじい文才を示していた王弼に対し素直に感服した。
西晋の名士、郭奕。彼は名高かったがみだりにひとと交友を持とうとは思わなかった。しかしあるとき、竹林七賢の阮咸とあってたちまち感服、敬服した。
才は才に惚れる。
甘寧(三國志)&陸凱(三國志)
三国呉の勇将甘寧は金の使い方も凄まじく、絹織物で船を繋ぐといった荒技もしていた。
同じく三国呉、陸遜の親族に当たる陸凱も、宰相の一族。当然めっちゃ金持ちである。
三国呉の金持ちひと組。
王粲(三國志)&曹植(三國志)
漢末の文人グループ建安七子の筆頭格
曹操の息子、曹植。その文才はやはり凄まじいもので、後の世の謝霊運などは「この世に文才が百あるならば、そのうちの八十は曹植の元にある」と言った。ちなみに続きは「そんでぼくが十ね」と付け加えてもいる。
抜群の文才を語る言葉。
雷煥(晋)&呂虔(三國志)
西晋の雷煥は土中より一対の伝説の神剣「干将・莫耶」を掘り当てた。一本は自らが持ったが、もう一本は張華に送った。やがてふたりは歴史の荒波に殺され、干将莫耶は何処ともなく消えていった。
魏に仕えた呂虔はやはり神剣を持っていた。これを鑑定したものが「凡人が提げてよいものではない、三公に上るようなお方が提げるべきものだ」と語る。そこで呂虔は名士として名高かった王祥に渡す。すると彼は三公に至った。王祥がその弟に剣を渡す。その弟の子孫こそが、かの王導である。
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