03巻C 西晋とその崩壊

03-11 天下国家

03-11-01 晋二 武帝司馬炎

 天下統一後十年経った 290 年、武帝ぶていは死亡した。


 武帝ははじめ即位したとき、華美な装飾品の代表格である雉頭裘ちとうきゅう太極殿たいぎょくでんの前で焼き、倹約の意思を天下に知らしめた。しかし天下を統一したのちには贅沢三昧の日々を送るようになり、後宮には数千の女性を抱え、羊の引く車に乗って後宮をめぐった。宮女たちは竹の葉を門戸に挿し、また清めた塩を盛って羊に舐めさせようと準備し、武帝からのお手つきを待った。羊の引く車が止まったところに、武帝が足を運ぶ、と言った手続きになっていたからである。こうして様々な美女たちと酒宴をしては楽しんでいた。このため群臣らと国家運営に関する重要な話をすることがなくなった。


 が平定されてのち、天下からトラブルはなくなったかのように伝えられたため、各州からは軍備が引き下げられることになった。山濤さんとうはこの措置をひとり憂慮していた。


 かんの時代以来、きょう鮮卑せんぴが多く中原政権に服属を申し出ていた。そこで中原政権も彼らを多数内地に引き入れ、労働力として用いていた。

 この状態に対し、「郭欽かくきん」が上疏した。

「呉を平らげた武威が残る今のうちに、内地に移住している胡族どもをみな外地に追放なさいませ。四方の蛮族が出入りする箇所の防備を峻厳とし、先の王たちがなさった辺境統治の制度を明らかとなさるべきです」

 しかし武帝は聞き入れず、ついにのちの災禍の原因を引き寄せてしまったのである。


 太子の「司馬衷しばちゅう」が立った。 恵帝けいていである。



蒙求もうぎゅう

胡嬪爭摴こひんそうちょ 晉武傷指しんぶしょうし

 晋の武帝と言えば後宮での夜とぎ選びを山羊にさせたことで有名だが、とは言えほとんどの場合胡氏こしの元に足繁く通っていた。つまり山羊は胡氏以外のオマケを選ぶときの振る舞いである。そんな胡氏と武帝が樗蒲で遊んでいたとき、白熱の余り胡氏が武帝の指を傷つけてしまった。「このおてんばものが!」と武帝が怒ると、胡氏も「私を誰だとお思いですか、私の父はこの晋を大いに守ったお方ですよ! 気性が激しくないわけがございますまい!」と逆に言い返した。

 ちなみに胡氏は男児に恵まれなかった。

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