03-11-02 晋二 恵帝司馬衷 1
「
賈南風は司馬衷の廃位を大いに恐れ、この難問に対する回答案を部下に作成させ、司馬衷にこの答案を書き写させた。その回答は武帝を満足させるものであり、こうして司馬衷は廃位を免れた。
こうして恵帝は即位した。賈南風は皇后となって恵帝に代わり政務を執り行った。
皇太后の「
賈南風は楊駿を殺し楊皇太后を廃し、
一方で人々からの信頼厚い
曹魏末期、のちに西晋で立身することになるふたりの若者は先達たちから高く評価されていた。楚の評価が「王戎はシンプルに要点を拾い、裴楷は流れるように論旨を通じさせる」というものだ。
若者よ、羽ばたかれよ。
西晋の衛瓘と索靖はともに書道の達人。そこで両名は「二妙」と通称された。
同じく西晋の潘岳と夏侯湛。ふたりはともに文筆で名を知られ、かつふたりが並ぶとイケメン祭となるため「璧玉が連なる」と通称された。
西晋はえろうすごいお方ばかりどすなー。
皇帝のために設けられる席にまつわる諫言を為した二人。
張憑(晋)&裴頠(晋)
東晋中期の弁者、張憑。彼は家格が多いにものを言う東晋宮中に混じり込むと、そのみごとな弁で他者を唸らせ、ときの皇帝からは「そなたはまるで理屈のあなぐらのようだ」と称えられ、以後重用された。
西晋で賈南風政権を大いに支えた裴頠は論壇に長け、そのすさまじさのあまり「まるで林や藪から論が飛び出てくるかのようだ」と評された。……あんまり褒められてなくないこれ?
凄まじい弁者が、二人。
賈南風(晋)&紂王(書経)
南風は
無道の限りを尽くし、結果ともに亡国を招いた、と言うことでセットにされている。
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