04-10-03 隋十 煬帝楊広 上

 煬帝ようだい楊広ようこう開皇かいこうの末年に太子となったが、その日天下に地震が起きた。


 即位して、まず始めに洛陽らくよう顕仁宮けんじんきゅうを建造させた。長江ちょうこう流域や諸山系より見事な木材、見事な石材を取り寄せさせ、また各地よりめでたい木や霊妙な草、ふしぎな鳥や奇妙な獣を集めさせ、庭園に備えさせた。

 また済渠せいきょを開鑿した。長安ちょうあん西苑せいえんより穀水こくすい洛水らくすいの水を引き、黄河こうがにまで直接通じさせた。更に黄河の水を汴水べんすいにまで引き、汴水の水を泗水しすいにまで引き、長安から直接淮水わいすいにまで出られるようにした。


 また民を徴発して淮水より邗溝かんこうを開鑿して長江ちょうこうと結ばせ、その近傍には御道を敷設し、柳をその両脇に植えて並木とした。長安より江都こうと(長江北岸に設けられた都)までの間には離宮は四十箇所以上設けられた。また人を江南こうなんに住まわせ、龍舟をはじめとした諸船舶数万艘を自身の遊幸のために備えさせた。


 なお長安の西苑は二百里ほどの長さの周囲であり、内部には大きな人造湖が設けられた。こちらの外周は十里あまりである。更に蓬萊山ほうらいさん方丈山ほうじょうさん瀛洲山えいしゅうざんと言った伝説の諸山をもじった丘が築かれた。その高さは百尺あまり。それぞれの山の上には観覧台や宮殿がひしめくように山上に築かれた。人造湖の北には水路が張り巡らされて人造湖に注いでいた。その周辺にもまた十六の寺院が設けられ、いずれの門も掘り割りに向けて開かれ、贅の限りが尽くされていた。冬になって植えられた木々の葉が落ちると色絹の切り貼りにて花や葉をこしらえ、木々に飾らせた。また各所の泉にも同じように色絹にてハスやヒシ、ミズブキの花をこしらえさせ、色が落ちてきたら新しいものに交換させた。月があざやかな夜には宮女数千を引き従えて西苑を騎馬にて巡り、清夜遊曲を作曲しては馬上にて奏でた。


 その後、永済渠えいさいきょを開鑿した。沁水しんすいより水を引き、南は黄河に、北は涿郡たくぐんにまで通じた。汾陽宮ふんようきゅうを建造し、江南河こうなんがを開鑿して京口けいこうから余杭よこうまでの八百里、すなわち会稽郡かいけいぐんを長江と接続させた。


 以上の造営により、会稽から涿郡、すなわち今で言う北京ペキン近くまでが運河にて結ばれたことになる。

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