03-03-09 漢八 楊震

 太尉の「楊震ようしん」が自殺した。


 楊震は函谷関かんこくかんの西出身である。このため時の人たちは「関西かんさい孔子こうしとは楊震殿のことを言うのだ」と語っていた。

 長らく生徒らに学問を授けていた楊震であったが、ある日講堂の下に三匹のウナギをくわえた鳥が飛び込んできた。それを見て講堂の館長がウナギを取り上げ、楊震に差し出しつつ言う。

「これは先生が立身される吉兆ですな」


 後に楊震は郡太守となった。そこに部下の村令が懐に金子をしのばせ、わいろを楊震に送ろうとして、言う。

「このような夜中です、太守様が受け取ったなぞ、誰も気付きませぬよ」

 楊震は答える。

「天が知り、地が知る。あなたが知り、わしが知る。誰も知らぬなどと言ったことはございますまいに」

 村令は恥じ入り、引き下がった。


 やがて楊震は三公となった。当時の宮廷では宦官や皇帝の乳母が権勢を握っていた。しかも楊震に向けて縁者を引き立てて欲しいなどと言い出す。楊震はその依頼を突っぱねた。このため権勢者たちは近習らにあることないことを吹き込み、ついには安帝あんていより罷免の辞令書を交付させた。三公の印綬を取り上げられた楊震は、間もなくして自殺したのだ。


 葬儀の日、多くの名士が参列した。そこに2メートル弱にはなろうかという大鳥が飛来し、墓前にてうつむき、涙し、飛び去った。



蒙求もうぎゅう


楊震關西ようしんかんさい 丁寬易東ていかんえきとう

 後漢中期の名士、楊震。彼の徳高さは、「函谷関の西に住まう孔子だ」とまで呼ばれ、崇敬の的となっていた。

 前漢初期の学者、丁寬。彼は師について易を学び、抜群の学識を得ると東方に帰還した。

 偉大な学者、西と東。


震畏四知しんいしち 秉去三惑へいきょさんわく

 後漢中期の名士、楊震。彼はこっそりわいろを持ち寄ってきたものに「天と地とあなたと私がわいろを知っている。受け取るわけにはいかない」とわいろを突っぱねた。

 後漢後期の名士、楊秉ようへい。清廉潔白を旨とし、高官に至った。彼は三つの誘惑を常に自らにいましめていたという。酒、性欲、財貨である。

 自らを厳しくいましめる名士の、いくつかの規範。

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