03-01-17 漢七 光武帝劉秀15
光武帝はまた功臣たちの暮らし向きを保証し、軍事にかかわらずに済むようにし、それぞれを列侯し邸宅を与えた。行政上のことは三公に一任し、功臣たちにはさして政に関わらせないようにした。このため諸将はみな名誉を胸に抱きつつ生を全うした。
功臣のうち、まず「
呉漢は戦場にあり、いくら戦いが不利になっていても泰然と構えていた。このため光武帝が感嘆して「呉公は実に人々の意気を高めてくれるものだな。その気概だけで一国を敵に回しても勝ててしまうのではないかとさえ思えてしまう」と語っている。出陣を請け負えば、朝に出立、夕方にはもうすみやかに任務を片付け帰還した。
死亡に際し、光武帝自ら臨終の床に訪問、言い残すことがないかと聞く。すると呉漢は「愚かさを弁えず、敢えて申し上げます。陛下におかれては、刑獄ごとについてくれぐれも慎重を期され、みだりに大赦をなさりませぬよう」
賈復は光武帝起兵時から兵の取締を司っていた。そんな賈復に、光武帝は「賈どのはその身ひとつで迫り来る戦車の鋭きをも挫かれるな」と語っている。
かつて戦場でけがを負ったとき、光武帝は驚いて言う。「あれだけ気をつけろと言ったのに怪我をしてしまったか! あぁ、ぼくは名将を失ってしまうのか! 聞けばきみの奥さんが妊娠されているそうじゃないか、ならば子が生まれたら、ぼくの子を嫁がせよう。娘が生まれたら、ぼくの子に嫁がせよう」
光武帝は他の臣下にも、こういった言葉を掛けて慰撫したものであった。
孔子の孫、孔伋が衛にいた頃、貧乏暮らしをしていた。それを見かねた金持ちが「どうせ捨てるようなものだから」と着物を送ったが、拒否。「ゴミ箱のような扱いされるなら貰わない方がマシだから」とのことだ。
一方の祭遵は
贅沢暮らしをよしとせぬ、ふたりの偉人を結びつけている。
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