03-07-07 漢十 袁紹・袁術

 袁紹えんしょう袁術えんじゅつはいとこ同士で、ともに昔の大尉である袁安えんあん玄孫やしゃごに当たる。袁氏は四世代で五人の公を輩出し、その勢力は他の公族らに比べても抜きん出たものだった。

 袁紹はがっしりとした体格の豪傑で、人士を愛したため、配下には人材が集まっていた。袁術もまた俠気あふれる存在であった。


 霊帝れいていが死亡し、劉弁りゅうべんが立つと、母方の伯父である何進かしんが宦官撲滅を狙った。しかし返り討ちにあい、死亡。そこで袁紹は各地から董卓とうたくを始めとした豪傑を招集した上、自身は兵を動員して宦官らを捕らえ、長幼の別なく殺し尽くした。その数は二千人あまりに及び、ヒゲがないからという理由で殺されたものもいた。


 しかしそれは、宦官の代わりに董卓に実権を握らせることになった。董卓は袁紹の反対を押しのけ、劉弁を廃し、献帝を立てる。袁紹は洛陽から脱出し、董卓討伐軍を起こすも、董卓は献帝けんていを連れて長安ちょうあんに移る。そして呂布に殺された。

 袁紹は冀州きしゅうに拠点を移した。


 袁術えんじゅつ袁紹えんしょうのもとに呂布が逃げ込んできたが、どちらも追い払う。やがてその呂布も曹操そうそうによって殺された。


 袁術えんじゅつははじめ南陽なんようを拠点とし、やがて寿春じゅしゅんに移った。このとき、「代漢者当塗高」と書かれた予言書を掘り当てる。袁術は自らのあざな「公路こうろ」に「途」の代字が宛たっているとし、ついに皇帝を自称した。とは言えそのふるまいは節度なく贅沢放題。もとより資質が空疎であったから、まともに自立もできておらず、遂には袁紹のもとに逃れようとした。曹操は劉備りゅうびに迎撃させ、亡命叶わなくなった袁術は血を吐き、死亡した。


 一方の袁紹は冀州にて勢力を拡大させ、同じく勢力を拡大させる曹操と対立するようになった。このため精兵十万、騎兵一万を抜擢し、許に攻撃を仕掛けようと目論んだ。そこに「沮授そじゅ」が諫めて言う。

「曹操は陛下を奉じ天下に号令をかけております。いま兵を南に向ければ、それは陛下に逆らい、天下の義を損ねることになります。どうか公におかれては、そのことを重にご配慮くださいますよう」

 袁紹は聞き入れず、ついに官渡かんとにて対峙した。しかし袁紹軍は輜重を焼き払われて士気をそがれ、そこを曹操軍に襲われ、壊滅した。袁紹は屈辱と怒りに吐血し、死んだ。



蒙求もうぎゅう

胡廣補闕ここうほけつ 袁安倚賴えんあんいらい

 後漢安帝あんていの時代のひと、胡広。三公にまで上りつめた彼は皇帝の落ち度を諫めるなどはなかったが、それとなくその漏れを補う形で補佐をした。

 後漢章帝しょうていの時代の大臣、袁安は汝南じょなん袁氏栄達の祖とも言うべき人物だ。章帝が死亡し、幼い和帝わていが立ったとき、外戚の力が強まっていたが、袁安は一人その気風に立ち向かい、宮中の誰もが袁安を頼ったという。

 皇帝のために忠勤をなした大臣たち。

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