03-04-05 漢九 党錮名士 2

 郭泰かくたい洛陽らくように遊学したとき、李膺りようと友となった。李膺が里帰りを心したとき、数千両もの車がその見送りに出向いた。しかし李膺は郭泰のみを船に乗せ、黄河こうがを渡った。見送りに来た者たちはその様子を眺めて言う。

「まるで神仙のようではないか」


 茆容ぼうようは 40 歳あまりまで田畑を耕す生活を送っていた。あるとき雨が降り、村の皆とともに木の下に雨宿りをする。このとき村人たちはみな足を投げ出して座っていたが、茆容ひとり正座にて居住まいを正していた。

 その様子を見た郭泰はただならぬ人物であると気付き、茆容に学問を修めるよう進めた。


 「孟敏もうびん」と言う人物がいた。かれは米を詰めた瓶を背負っていたのだが、うっかりそれを落とし、瓶を割ってしまう。しかしそれをまるで気に留めるでもなく立ち去ろうとした。そこに居合わせた郭泰がどうして気にしていないのかを問うと、孟敏は答える。

「もう割れてしまったものを省みたところで、別に米が増えるわけでもありません」

 郭泰は孟敏にもやはり学問を修めるよう勧めた。


 このように郭泰によって学問の道に進んだものは非常に多かった。

 かつて郭泰は有道という科目の教師に推挙されたが、固辞した。

「夜に天文を見、昼に世間を眺めていると思うのだ。天が見捨てたものを、どうして人が支えきれるだろうか、と」



 「仇覧きゅうらん」という人物がいた。40 歳の頃駅の長となった。

 その部下には親不孝者の「陳元ちんげん」がいた。母がその不孝ぶりを仇覧に訴え出ると、仇覧は陳元の家に直接出向き、人倫を説く。陳元はすっかり感じ入り、以降孝行息子となった。

 この話を「王奐おうかん」が聞くと、仇覧を主簿に任じ、言う。

「陳元を罰せず改心させたと聞くが、不孝者にはハヤブサが獲物に襲いかかるがごとき、厳しき罰があるべきではなかったか?」

 仇覧は答える。

「ハヤブサをいくら恐れようと、鳳凰の慈光に照らされれば鳳凰を慕いましょう」

 王奐が答える。

「なるほど、イバラまみれの場を鳳凰は好まぬ。それにしても、このようなせせこましい地では、そなたの大才も埋もれてしまおうよ」


 こうして王奐は仇覧を太学に編入させた。国中の才人が集まる場においても仇覧は常に自らを保っていた。そんな仇覧に出会った郭泰は自ら拝礼し、言う。

「あなたこそ私の師だ」

 仇覧はその後招聘に答えず、ふるさとで死んだ。



蒙求もうぎゅう


靈運曲笠れいうんきょくりゅう 林宗折巾りんそうせつきん

 東晋末~劉宋で大いに名を馳せた大文人、謝霊運は、被る笠をやや傾けていた。

 後漢桓帝期の名士郭泰かくたい、あざな林宗りんそうは、被る頭巾をちょいと曲げていた。

 人気者のファッションはみんな大好きですね。


龐統展驥ほうとうてんき 仇覽栖鷹きゅうらんせいおう

 三國志、劉備りゅうびの配下となった龐統ほうとうは抜群の才覚持ちであったが、地方官吏の地位にてうまく治績を上げられずにいた。そこでまわりのものは劉備に龐統が活躍する場を与えるべく進言、「麒麟に村は狭すぎます」と説いた。

 後漢桓帝かんてい頃の能吏、仇覧。罪を犯した者に倫理を説き改心させる。やがて厳格な統治を好む地方長官の下で「もっと厳しくすべきではなかったのか」と問い詰められたが「どんなに罪人がハヤブサを恐れたところで、鳳凰の前に立てば鳳凰になつくでしょう」と、ハヤブサたちの前で徳治を言い切った。

 ふたりの明統治官には狭すぎるステージなんだ。

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