02-07-05 漢五 成帝劉驁 下

張禹ちょうう」は成帝せいていの師に当たる人物である。国内に大事件があれば成帝は必ず張禹に相談を持ちかけていた。この頃のぼってくる上言には「近頃の災異の多さは王氏の専断によるものに違いない」という内容が多く見られた。成帝がこれを憚って、自ら張禹の元に赴き、人払いをした上で相談を持ちかける。張禹は自らが老いており、しかし子供たちが未だ幼いことを慮り、言う。

「春秋の時代に日食や地震があったのは、諸侯が殺しあったり、夷狄が攻め入ったがため。臣下によるものというわけでもございますまい。そも天災が何を示すかは深遠なる境地のものであり、ゆえにこそ孔子も怪力乱神を語らずと申しております。このためかの子貢ですらまともに奥義を聞けておりませんでしたのに、どうして浅学の儒徒がその深淵を計り知り切れましょう。学浅きものたちの戯れ言なぞ、信じるに値致しませぬ」

 成帝は張禹を信任していたため、以降王氏の専横について疑うことはなくなった。


朱雲しゅうん」が成帝に見えると、斬馬刀で一人の佞臣の首を切って献上したい、という。それは張禹のことだった。成帝は激怒する。

「小臣の分際で我が師を愚弄するのか、許せぬ」

 そうして成帝が朱雲を連行させようとするも、朱雲は謁見の間の欄檻にしがみついたまま離れない。ついには欄檻が折れてしまう始末である。

 引きずられながらも、朱雲は叫ぶ。

「臣はあの世で関龍逢かんりゅうほう比干ひかんと語らうとしましょう、ただ、この偉大なる漢朝の行方が気に掛かってしかたがないのです」

 この叫びを聞き、「辛慶忌しんけいき」が額を床にたたきつけ、流血しながら成帝に特赦を頼み込んだ。成帝も落ち着くと、朱雲の処刑を取りやめとした。

 後日朱雲が折った欄檻を取り替えよう、という話になったが、成帝はそれを却下する。そして「木片を集め、修復させよ。そして忠臣を表彰しよう」と語った。


 前 8 年、王根おうこんが病のため免職。王莽おうもうが大司馬となった。

 前 9 年、成帝が死亡。在位 26 年、改元は七回。建始けんし河平かへい陽朔ようさく鴻嘉こうか永始えいし元延げんえん綏和すいわである。平帝には威儀を持ち、臨朝したときの振る舞いは超然とした神のごときであったが、しかし酒色に溺れ、政は臣下らに押し付けた。張禹ちょうう薛宣せつせん翟方進てきほうしんが宰相となったが、漢は成帝の代でいよいよ衰えた。哀帝あいていが即位した。



蒙求もうぎゅう

朱雲折檻しゅうんせつかん 申屠斷鞅しんとだんおう

 前漢成帝に仕えた朱雲は成帝が佞臣にたぶらかされているのを命を賭し諫言。牢に連れ去られそうになったが、必死に欄檻に捕まり、欄檻が折れるまで訴え続け、ついにその誠意が認められた。ただし成帝は奸臣を退けなかった。

 王莽の時代、王莽に申屠剛は直言の臣下を置くべきと唱えたため退けられた。やがて光武帝に仕えると、まだ天下も治まっていないのに光武帝が猟に出たいなどと言い出す。なので光武帝が使っていた車のタイヤの前に頭を差し込む形で止めさせた。いきたいなら俺の頭を車輪でかち割ってからにしろ、というわけだ。

 皇帝のおいたを、身を張って止める忠臣ふたり。

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