04-08-04 梁八 武帝蕭衍 中

 北魏ほくぎ分裂より前のこと、火星が南斗なんと(射手座真ん中あたりの柄杓状の星座)の前を横切った。これは「天子が下殿を追われる」兆しである、と言われていた。このため武帝ぶていは裸足となって下殿を走る、すなわち占いの結果を先回りすることで厄払いをした。しかし北魏ほくぎ孝武帝こうぶていが出奔した話を聞き、恥じて言う。

「虜にもまた天象が対応しておるのか」


 東魏とうぎ西魏せいぎの戦いのさなか、ひとりの武将が梁に投降をしてきた。侯景こうけいという。侯景は東魏の武将であったが、一度は河南かなんを手土産に西魏に降るも、間も無くして今度は梁に帰順を申し出た。武帝は侯景を河南王かなんに封じる、と約束した。


 ただし、侯景の使者が梁に到着した際、梁の群臣はみな侯景の受け入れに反対していた。武帝もまた言っている。

「我が国家は金のかめが如きもの、ここには今傷ひとつたりとてないが、あるいは侯景をここに入れることでことが生じてしまうのやもしれぬ」

 こうした中、ただひとり朱异しゅいのみが侯景の受け入れを強く主張した。


 そうこうしているうちに侯景は東魏に攻め立てられ敗走、押しかけるように寿春じゅしゅん入りし、将として用いてほしいと願い出る。そこで武帝も侯景を南豫州牧みなみよしゅうぼくとした。ただし、その一方では東魏と梁との間で和議も成立しており、この条件が侯景を東魏に差し出すこと、であった。侯景は怒り、決起。兵を率いて長江ちょうこうを渡り、建康けんこうを包囲した。


 武帝は即位以来戦争らしい戦争にも見舞われず、いつしか仏教に大いに帰依し、しばしば仏寺に身を投げるなどしていた。こうした風潮に臣下らも染まっており、このため建康の台城だいじょうに迫り来る侯景軍を迎え撃つ軍も、まるで侯景の相手にならなかった。

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