04-08-03 梁七 武帝蕭衍 上

 りょう高祖こうそ武帝ぶてい蕭衍しょうえんせい皇族の遠戚に当たる。母は張氏ちょうし菖蒲しょうぶの花を見かけ、周囲に誰もいないのを見計らい飲み込んだところ武帝を孕んだという。

 武帝は博学才穎、文学にも通じ、東昏公とうこんこうの時代の初めに襄陽じょうように赴任し、斉の世がいよいよ乱れるのを察知すると密かに武器防具を整えさせ、その配下には驍勇の者たちを多く取りそろえ、材木を伐採しては檀溪だんけいに沈めておき、またチガヤを刈って山積させた。


 兄の蕭懿しょういが自殺を強要されたと聞き、武帝は決起の旗を掲げ兵力を集め、あらかじめ用意してあった材木を檀溪より引き上げて戦艦に装備させ、チガヤにて戦艦の屋根を葺かせ、瞬く間に戦の準備を整えると、決起より一年あまりで建康けんこう入りを果たし、帝位に就いた。



 北魏ほくぎでは宣武帝せんぶていの死後、孝明帝こうめいていが立った。ただし孝明帝この頃ようやく六歳であったため母の霊太后れいたいごう胡氏こしが称制した。ただし霊太后は自らの立場を悪用し好き放題をし、成長するうち孝明帝と対立、ついには孝明帝を殺害した。この事態を受け決起した爾朱栄じしゅえい洛陽らくようを襲撃、霊太后を殺害の上、孝荘帝こうそうていを立てた。


 こうした北魏の政変を嫌い、北魏皇族の元顥げんこうが梁に出奔した。武帝は元顥を北魏の皇帝に擁立し、軍を率いて洛陽に送り込ませた。一度は洛陽を奪ったものの、元顥は間もなく爾朱栄に攻め殺された。


 爾朱栄の権勢はあわや北魏簒奪と言ったところにまで迫ったが、最終的には孝荘帝に殺された。残された爾朱栄の一族は孝荘帝を殺害の上さらなる権勢を振るおうとしたが、配下の高歓こうかんに攻め殺された。新たに擁立された孝武帝こうぶていは高歓を嫌い、西方に亡命。関中かんちゅう宇文泰うぶんたいを頼った。

 この時を以て、北魏は東西に分裂する。

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