03-08-05 漢一 諸葛亮 2

 劉備りゅうびが死亡し、劉禅りゅうぜんが即位。諸葛亮しょかつりょうは、遺詔にてその補佐を命じられていた。その際の発言は以下の通りだ。


「貴方様の才は曹丕そうひに十倍する。かならずや国家を安んずること叶おう。最終的に大事が叶いさえするのであればよいのだ。我が子が補佐に値するのであれば補佐してほしく、叶わぬのであればあなた様が帝位につくのが良い」


 諸葛亮は涙しながら言う。

「臣めがどうして陛下生え抜きの臣下らの力を駆りず、忠誠貞節を尽くさずにおれましょうか。死力をもって帝業を継承いたします」


 全権を握った諸葛亮は官職をシンプルなものとし、法制の不備をも改めた。また国内に命令を発して、言う。

「およそ政務に携わるものは、広く人々の知恵を集め、忠心公益を世に広めるべく務めるものである。もし同僚を嫌うからと遠ざけるようなことがあれば、政の落ち度はそこから広がりゆくことであろう」


 諸葛亮はとの関係を修復するため、「鄧芝とうし」を呉に派遣した。孫権そんけんに謁見すると、鄧芝は言う。


しょくの地には折り重なる山々が、呉の地には幾重もの川がに対する守りとして存在しております。蜀が魏に没すれば呉の守りが失われましょうし、呉が没すれば蜀の地が危うくやりましょう。どちらが堕ちたとて、「唇亡びて歯寒し」の故事は変わらぬのです。ならばともに進んで天下をともにすべきでありましょう。ここで引けば三分立がこのまま続くこととなりますぞ」


この説得を受け、呉は再び蜀と手を結び、魏との関係を断った。


 蜀の南辺には蛮族がいた。諸葛亮は兵を率いて平定に出た。南方では「孟獲もうかく」が現地の漢人蛮人から信望を集めていた。諸葛亮は孟獲を生け捕りとすると、蜀軍の陣営を見て回らせた。その後釈放、しかし孟獲は再び襲いかかってくる。諸葛亮も迎撃し、捕らえ、そして釈放する。七度襲いかかって七度捕まり、七度目の釈放を受けたとき、孟獲は立ち去らずに言う。


「諸葛公には天威が備わっておられるのだな」

 以後、南土の民が蜀に背くことはなくなった。

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