03-08-04 漢一 後帝劉禅

 後帝劉禅りゅうぜん、字は公嗣こうし劉備りゅうびの息子で、17 歳のときに即位した。建興けんこうと改元し、丞相の諸葛亮しょかつりょうが遺詔にてその補佐を命じられていた。


 諸葛亮はとの関係を修復、しょくの南辺の蛮族平定をなしたのち、北伐を開始した。しかし功を挙げられることなく死亡した。以降「蔣琬しょうえん」が政を取り仕切った。しかし「楊敏ようびん」が蒋琬を批判して言う。

「いちいちとろくさい、前任者にまるで及ばぬ」

 これを聞いた者たちが、楊敏を罰すべきだと蒋琬に言う。しかし蒋琬は言う。

「先任にわしが及ぶはずもなかろう。罰するほどのものでもない」

 蒋琬が死亡すると、「費禕ひい」「董允とういん」が政を取り仕切った。ともに公事を優先し、忠心を貫いた。董允が死亡すると「姜維きょうい」が費禕とともに政に携わった。


 費禕ひいは誰も彼をも愛し、疑わないくちだった。このため偽装投降をしてきたものに殺された。この事態を受け姜維きょういは北伐を開始した。

 しかし、魏軍も反攻の軍を編成。姜維らの奮戦も虚しく、遂に魏将「鄧艾とうがい」による、成都せいとへの侵攻を許してしまう。もはや抵抗するものもなく、皇帝の璽綬が鄧艾のもとにもたらされた。


 劉禅の息子、「劉諶りゅうしん」は怒り、言う。

「もし我らの力及ばず敵軍による脅威がすぐそばにまで迫ってしまったのならば、父子君臣が揃い、最後まで城を背にして戦い、みなでお国のために散りゆくのが道理ではございませぬか! それならば先帝もご納得になりましょうに、なぜ降伏などという選択肢を取られるのです!」


 しかし劉禅は聞き入れない。このため劉諶は劉備りゅうびの霊廟に詣で慟哭し、妻子を殺害したのちに自殺した。


 鄧艾が成都に到着すると、劉禅は城から出て降伏を宣言する。は劉禅を安楽あんらく公に封じた。劉禅の在位は 41 年間であった。


 劉邦りゅうほうの皇帝即位から滅亡まで、漢の皇帝は通算で 26 名。469 年の治世であった。



蒙求もうぎゅう

姜維膽斗きょういたんと 盧植音鐘ろしょくおんしょう

 三国蜀の最後のあだ花、姜維。彼は死後解剖されたところ、その胆がくそでかかった。

 劉備の師として知られる、盧植。彼の声はくそでかく、まるで鐘の音のようだった。

 でかい、でかい。

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