02-01-02 秦十 李斯・韓非子

 しんの高官らは、国外から来ている論客がそれぞれの国の利益のために動いているから、と彼らを追放した。いわゆる逐客令である。

 この動きに対し、外国からの論客のひとり「李斯りし」が言う。


穆公ぼくこう由余ゆうよ犬戎けんじゅうから、百里奚ひゃくりけいえんから、蹇叔けんしゅくそうから、丕豹ひひょう公孫枝こうそんししんから得ることで西の覇王となった。孝公こうこう商鞅しょうおうの法を用いて、今に至る強国の礎を築いた。惠文王けいぶんおう張儀ちょうぎの計略を用い、六国の協調を切り裂いた。昭襄王しょうじょうおう范雎はんしょを得て国力を高めている。過去の四君は皆外国人の力で功績を収めている。どうして外国人だからと秦に背くことがあろうか! 彼らを懐深く受け入れることこそが大国の度量であろうし、何よりも論客を放逐すれば諸外国の助けとなろう! 敵に武器を送り、盗人に食料を与えたいのか!」


 これを聞いて始皇帝しこうていは逐客令を撤回。また李斯にも官位を与えた。なお李斯は人で、「性悪説せいあくせつ」を唱えた荀子じゅんしの弟子である。やがて秦は李斯の政策を取り入れ、天下を統一するに至る。

 一方、同時期にかんの公族である「韓非かんぴ」も秦にやって来ていた。その提示する政策は見事なもので、始皇帝も大喜びであった。このままでは自らの地位が失われると恐れた李斯、韓非に無実の罪を着せ、薬を飲んで自殺させた。



蒙求もうぎゅう

韓子孤憤かんしこふん 梁鴻五噫りょうこうごい

 韓非子は「孤憤」編にて法家のやっていることは正しいが厳しく、故に徒党を組む者たちの批判にさらされるであろう、と説いた。

 後漢の人梁鴻は才人だったが、漢帝に仕えるのをよしとせず各地を放浪。洛陽近くに至ったとき「五噫の歌」をものし、現世の批判をした。

 己の正しさのために、激烈な言葉で正しからざる者を糾弾することも辞さないふたり。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る