02-02-03 漢一 楚漢戦争 3

 劉邦りゅうほうは自軍に戻ると讒言者を処刑した。数日後に項羽こううは軍を動かし咸陽かんよう入り、徹底的な破壊を加え、もとしん王である子嬰しえいを殺し、宮殿を焼き払った。火は三月に渡って燃え続けたという。また始皇帝しこうていの陵墓が荒らされ、その副葬品が奪われた。ほかにも財貨や女を略奪した上で、東に撤収。この振る舞いで、項羽は秦人よりの支持を失った。

 項羽に、関中かんちゅうの地こそが都とするに相応しいと説く者があった。項羽が却下すると、「なるほど、の猿に冠は似合わぬな」とその者が言う。項羽は彼を釜ゆでの刑とした。

 項羽が懐王かいおうに対して咸陽かんようの平定を告げると、懐王は劉邦を関中王かんちゅうおうにつける、と宣言。項羽はこの判断に怒り「我が叔父の都合で推戴されたにすぎないのに、何を偉そうに」と僻地に飛ばす。表向きは「義帝ぎてい」と呼び、尊崇する形ではあったのだが。それから全土の諸将を王とし、自らは西楚の覇王である、とした。

 また劉邦については漢中かんちゅうしょくの三郡の王とし、関中は秦から降った、章邯しょうかんをはじめとした三人の将を王に任じ、劉邦が封地から中華の地に出られないようにした。この処遇に劉邦は怒り項羽討伐に出ようとしたが、蕭何しょうかが諫めて言う。

「どうかこの地の王として、この地の民を完全に押さえた上で打って出られませ。さすれば三秦も手中に入り、天下がその手元に収まって参りましょう」

 そこで劉邦は漢中巴蜀の経営に乗り出し、また蕭何を丞相とした。


 この年、水星、金星、火星、木星、土星が井宿に集合した。


※この点は注釈無く載っても現代人にはわからないので補足。宋書そうしょ天文志には以下の通りの説明があります→「五つの惑星がひとところに集まるのは、新たな王が世に平和をもたらす兆しである。周武王しゅうぶおういん紂王ちゅうおうを倒した時、せい桓公かんこうが覇者となった時に見えた現象である」

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