04-05-02 晋五 安帝下・恭帝

 晋が南燕なんえん討伐の軍を起こした。

 これより前、すでに慕容徳は死んでおり、甥の「慕容超ぼようちょうが即位。晋との国境地帯を荒らし回っていた。このため劉裕りゅうゆうが軍を率い出兵したのである。


 拓跋珪たくばつけいが死に、「拓跋嗣たくばつし」が即位した。


 劉裕は広固こうこを陥落させ、慕容超を捕らえ、建康けんこうに送り込み、処刑させた。ここに南燕が滅んだ。


 盧循ろじゅんが劉裕の北伐に乗じて番禺ばんうより進軍、建康けんこうを強襲した。劉裕は急遽の呼び出しを受け帰還、諸軍にて防衛戦を繰り広げ、盧循を退けることに成功した。

 劉裕は追撃を掛け、盧循をさらに交州こうしゅうまで追いやった。盧循は交州刺史こうしゅうししに殺され、その首を建康に送られた。


 劉裕が長安ちょうあんを奪回。後秦こうしんを滅ぼした。しかしすぐ「赫連勃勃かくれんぼつぼつ」に奪われた。


 東晋朝廷は劉裕を相国しょうこく宋公そうこうとし、九錫きゅうしゃくを加えた。劉裕は予言書に「昌明しょうめいの後なお二帝あり」と書かれていたことに則り、人を遣わせ安帝あんていの首をくくらせた。

 安帝の在位は 23 年。とは言え桓玄を打ち倒して以降の 14 年は劉裕が政を実質司っていた。弟の「司馬徳文しばとくぶん」が立った。恭帝きょうていである。


 即位の翌年、劉裕を宋王おうおうに進爵した。治所も彭城ほうじょうから寿春じゅしゅんに移転。さらに翌年、劉裕は建康に帰還した。恭帝は劉裕に禅譲し、間もなくして殺された。


 東晋は元帝げんていから 11 人の皇帝、治世 104 年であった。

 西晋東晋を通貫すれば、156 年で滅んだことになる。

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