03-08-10 漢一 司馬懿 下

 曹叡そうえいは土木工事を好み、許昌宮きょしょうきゅうをすでに建立したにもかかわらず、更に洛陽宮らくようきゅうを建て、長安ちょうあんに収まっていた鐘𥳁しょうろう槖駝らくだ銅人どうじん承露盤しょうろばんといったしん以来の宝物を洛陽らくように移そうとした。

 承露盤は運搬中に折れて地面に落ち、その音が数十里にまで響いたと言う。銅人は重すぎたため運搬ができなかった。なので銅を各地から徴収し、そのミニチュア版をふたつ鋳造の上司馬門しばもんの外に配し、翁仲おうちゅうと名付けた芳林園ほうりんえんのそばに土を盛って山とし、木々や薬草を植え、近隣で捕らえた動物たちを山中に放した。

 臣下らは曹叡の振る舞いを諌めたが、曹叡が聞き入れることはなかった。


 曹叡が病を得ると、司馬懿しばいが病床に招かれた。宗族の「曹爽そうそう」を大将軍に任じる旨の命を下すと、曹叡は死亡した。在位 14 年。子の曹芳そうほうが立った。いわゆる廃帝はいてい邵陵公しょうりょうこうおくりなに言う厲公れいこうである。8 歲で即位し、司馬懿と曹爽が曹叡よりの遺詔を受け補佐に回った。司馬懿は太傅に昇進した。


 曹爽は傲慢で贅沢好み、その上残虐であった。このため司馬懿は曹爽を殺した。司馬懿は丞相に任じられた。九錫がもたらされたが辞退した。

 曹爽の同朋である「夏侯覇かこうは」はしょくに亡命した。姜維きょういが面会の上、亡命の理由を問う。


「奴は大権を得た。ならば我らを攻撃しようとするだろうか?」


夏侯覇が答える。

「奴は大臣としての立場こそ確保したが、外に打って出ることには怯えている。むしろ警戒すべきは鍾会しょうかいだ。奴が大権を握ったら、間違いなく呉蜀ごしょくにとっての脅威となる」


 司馬懿が死んだ。息子の「司馬師しばし」があとを継いだ。撫軍大将軍、録尚書事となった。

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