03-08-11 漢一 呉主伝

 孫権そんけんが、遂に皇帝を自称した。父の孫堅そんけん武烈帝ぶれつていと、兄の孫策そんさく桓王かんおうと諡し、根拠地としていた建業けんぎょうを都と定めた。


 諸葛亮しょかつりょうは呉との関係を修復するため、鄧芝とうしを呉に派遣した。孫権に謁見すると、鄧芝は言う。


しょくの地には折り重なる山々が、呉の地には幾重もの川が魏に対する守りとして存在しております。蜀が魏に没すれば呉の守りが失われましょうし、呉が没すれば蜀の地が危うくやりましょう。どちらが堕ちたとて、「唇亡びて歯寒し」の故事は変わらぬのです。ならばともに進んで天下をともにすべきでありましょう。ここで引けば三分立がこのまま続くこととなりますぞ」

この説得を受け、呉は再び蜀と手を結び、魏との関係を断った。


 孫権が死ぬと、大帝と諡された。子の「孫亮そんりょう」が継いだ。


 孫亮が親政をすると、中書省に出向き、孫権の時代の政務を学んだ。

 孫亮が生梅を食した時に、その酸っぱさを和らげるために蜜を持ってこさせた。すると蜜の中にネズミの糞が浮かんでいる。孫亮は蔵の管理者を呼び立て、問う。

「宦官がそなたに蜜を求めたことがあったか?」

 管理者は答える。

「欲しいと申して参りは致しましたが、与えませんでした」

 宦官による策略であると見て取った孫亮であったが、宦官は自白しない。そこでネズミの糞を割らせたところ、内部が乾いていた。孫亮は大笑いする。

「もしこの糞が蜜に浸かったままであったならば、中まで湿っているはずではないか。外が湿って中が乾いているとは、はて、これはいかなることなのかな? これで宦官の仕業でないなどと言うことがあるか?」

 尋問をしてみたところ、果たして宦官が自白。側仕えたちはその明察に驚きおののいた。


 大将軍の「孫綝そんりん」は孫亮よりしばしば難問をふっかけられたため病と称して参内を拒否するようになった。そして兵を率いて宮殿を囲み、孫亮を廃し、「孫休そんきゅう」を皇帝に立てた。

 孫休が立つと孫綝が丞相となったが、孫休に対して無礼な態度であったため、間もなくして誅殺された。


 孫休が死亡すると、その甥の「孫皓」が立った。呉の末帝である。

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