04-08-07 魏八 爾朱栄

 霊太后れいたいごうを攻め殺した、爾朱栄じしゅえい六州大都督ろくしゅうだいととくとなった秀容族しゅうようぞくの酋長、と紹介を受ける。十八史略じゅうはっしりゃくでは「どのように六州大都督となったのか」を完全に抜かすため補足する。


 北魏ほくぎ洛陽らくよう遷都以後、北方遊牧民族の侵攻を防ぐための軍事拠点、いわゆる六鎮りくちんは重要守備拠点から辺境守備拠点に立場を貶められた。このことから六鎮の待遇低下を招き、不満を抱いた六鎮各将が決起、北魏の国力を大きく削ぐこととなった。六鎮の乱と呼ばれる。爾朱栄はこの大乱を鎮圧することで、北魏第一将の地位を掴んだのである。


 洛陽で暴走の一途を辿る霊太后の乱政にあたり、爾朱栄に付き従っていた高歓こうかんは、爾朱栄にすぐさま挙兵し、帝側の奸を除くべきであると勧める。しかし時遅く孝明帝こうめいていは霊太后に毒殺された。

 爾朱栄は挙兵し孝文帝の甥に当たる元子攸げんしゆうを担いだ。孝荘帝こうそうていである。爾朱栄は霊太后を黄河こうがに沈め、その功から太原王たいげんおうに封じられた。


 爾朱栄が晋陽しんように戻ったのと同じ頃、北海王ほっかいおう元顥げんこうりょうに出奔した。元顥は梁の兵力を恃みに洛陽を一時陥落させ、孝荘帝は爾朱栄の元に逃げ込んだ。爾朱栄は黄河を渡り孝荘帝と合流、元顥を返り討ちとした。元顥は逃亡の最中死んだ。孝荘帝は復位すると爾朱栄を天柱大将軍てんちゅうだいしょうぐんとした。


 この頃にもなるとすでに爾朱栄は臣節を貫くつもりもなくなっていた。このため孝荘帝はひそかに誅殺を計画、爾朱栄を呼び出すと、自ら爾朱栄を刺殺した。すると甥の爾朱世隆じしゅせいりゅうといとこの爾朱兆じしゅちょうが共に決起し、宗室の長広王ちょうこうおう元曄げんようを立てた。

 爾朱世隆らは洛陽に入ると孝荘帝を殺害、さらには元曄も廃し、孝文帝の甥に当たる広陵王こうりょうおう元恭げんきょうを立てた。節閔帝せつびんていである。


 こうした爾朱氏の専権に高歓こうかんが起兵。洛陽入りし爾朱氏を滅ぼし、節閔帝を廃した。そして孝文帝の孫である平陽王へいようおう元修げんしゅうを立てた。北魏最後の皇帝、孝武帝こうぶていである。

 孝武帝は節閔帝を殺した。

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