03-11-07 三晋 劉淵 下

 劉淵りゅうえんの大叔父に当たる「劉宣りゅうせん」が、劉淵に言う。


かんが滅んで以来、匈奴きょうどの長たるべき単于ぜんうの称号はただの虚号であり、かけらほどの領地すら与えられませんでした。その他王侯らにしてみたところでその称号はお飾り、ほとんど平民らと変わらぬ暮らしを強いられております。しかし、われわれは衰退させられたりと言えど、その軍勢はいまだ二万を数えます。このまま手をこまねいて百年の年月を奴僕としてなど過ごしておれましょうか。司馬しば氏は身内同士で殺しあい、天下は争乱の只中に落とし込まれております。劉淵様は超世の英武をお持ち。呼韓邪こかんや単于ぜんうの大業を復興なさるのは、いまこのときです」


 こうして劉淵は劉宣とともに劉淵を旗印としての挙兵の謀議を重ねた。


 一方、劉淵は司馬穎しばえいに語る。

五部匈奴ごぶきょうどの兵たちを改めて司馬穎様の陣営に援軍として引き込むため説得したく思います」


 そして司馬穎の許可のもと左国城さこくじょうに出向いたところで、劉宣らによって大単于に推戴されたわけである。決起の宣言ののち、二十日後にその軍勢は五万にまで上った。離石りせきを都として定めたところで、胡人晋人で劉淵に帰服するものの数がますます膨らんでいく。その国号を漢とし、漢王を自称する。


 劉淵には族子に「劉曜りゅうよう」がいた。生まれながらにして眉が白く、目には赤い光を帯びていた。幼いころから聡明であり、また度胸も備えていた。やはり読書を好み文才をもかね、その射撃にて二十センチもの厚さの鉄をも貫き、劉淵の将として働いた。


 劉淵はやがて皇帝を自称し、都を平陽へいように移した。劉聡りゅうそうや「石勒せきろく」らを派兵し、しんの内地を攻撃。その軍勢がついに洛陽らくようにまで迫る。

 しかし、間もなく劉淵は死亡した。そのあとを「劉和りゅうか」が継いだが、劉聡によって殺され、劉聡がその地位を簒奪した。

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