04-03-02 晋四 哀・廃・簡文
弟の
しかし
燕将の「
間もなくして、前秦が前燕を滅ぼした。
桓温は
簡文帝は元帝の子である。清廉、恬淡、寡欲。清談を得意とした。桓温がやってきて司馬昱を皇帝に押し上げたが、九ヶ月後には病を得て危篤に陥った。このため急遽桓温を召し出し、言う。
「そなたにはよく帝を補佐すること
桓温は臨終の床にあって簡文帝より禅譲の意向を得よう、あるいは自身に宰相としての大権を与えさせようとしたのだが、叶わなかった。このとき「
簡文帝が死亡した。太子が立った。「
周顗(世説)&司馬昱(世説)
東晋初期の名臣、周顗。自他共に厳しいひとであり、そのありようはまるで切り立った岩山のようである、と評されていた。
東晋簡文帝、司馬昱。皇帝になる前に会稽王であった彼の存在は実にたおやかなものであり、ピリピリした宮中の緊張感も、彼が現れることで朝靄が立ちこめるかのごとく和らいだという。
東晋名臣たち、そのありよう。
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