02-08 王莽と更始帝

02-08-01 新六 王莽 上

 王莽おうもう王曼おうまんの子である。


 元帝げんてい皇后のおう氏には兄弟が八人おり、王曼ひとりが早死にしたため列侯されていなかった。そのため息子の王莽も伯父たちが栄達する中官職らしい官職にもありつけないままでいた。

 とは言え伯父たちがどんどん傲慢になっていく中、王莽はひとり折り目正しい振る舞いを徹底し、修身し学問に打ち込んだ。その服は一介の儒学者のように質素であり、外では英才俊才らと交流し、内では伯父たちに対し孝の限りを尽くした。一挙一動が礼に適っており、やがて新都しんと侯とされた。


 爵位が上がっても王莽は引き続き謙虚さを貫き、その虚名がいよいよ高まったため、ついにその地位は伯父らをもしのぎ、かんの枢要にたどり着いた。

 哀帝あいていが死亡すると平帝へいていを迎え、五年後に殺し、劉嬰りゅうえいの摂政として三年を過ごし、ついに簒奪をなした。国号はしんである。


 9 年、劉嬰を定安ていあん公とした。10 年に王皇太后が死んだ。


 17 年、荊州けいしゅうで強盗事件が発生した。「王匡おうきょう」が首領となり、「馬武ばぶ」「王常おうじょう」「成丹せいたん」がその元に馳せ参じた。そして彼らは緑林山りょくりんざんに立てこもった。

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