03-11-04 三晋 八王の乱 上

 太子の「司馬遹しばいつ」は賈南風かなんふうの子ではなかったため、殺された。すると司馬懿しばいの末子である趙王ちょうおう司馬倫しばりん」が詔勅を受けたと偽り宮殿に兵を引き入り乱入、賈南風を廃したのち殺害した。あわせて張華ちょうか裴頠はいぎも殺された。


 司馬倫が相国しょうこくを名乗ると、司馬允しばいんは兵を率い司馬倫を討伐しようとしたが、敗死。司馬倫はさらに石崇せきすうを殺した。

 石崇には緑珠りょくじゅと言う愛妾がいた。司馬倫の部下である「孫秀そんしゅう」は過去に緑珠が欲しいと石崇に言って断られていたため、石崇を「司馬允をそそのかして乱を企てた」と誣告の上収監したのである。

 石崇が言う。

「あやつらはわしの財産が狙いなのだ!」

 牢番が言う。

「財は災いを招くもの。何故ため込んだのだ」

 そして殺された。


 司馬倫は九錫きゅうしゃくを受けたと偽り、恵帝けいていに迫り帝位を強奪した。部下たちには高位を与え、末端にも爵位を与えた。

 朝会では本来高位の者しかつけられないはずの貂蝉ちょうせん、背につける羽根飾りがそこかしこにひらめいていた。このときの様子を、このように語る者があった。

「貂が足りぬから犬の尾でこさえておるわ」


 斉王せいおう司馬冏しばけい」はこの頃許昌きょしょうを、成都王せいとおう司馬穎しばえい」はぎょうを、河間王かかんおう司馬顒しばぎょう」は関中かんちゅうをそれぞれ守っていたが、それぞれが司馬倫討伐に立ち挙兵、司馬倫は捕らえられ、殺された。

 司馬冏が政の指揮を執ると間もなく贅沢放題をはじめたため、司馬顒は長沙王ちょうさおう司馬乂しばがい」に殺させた。

 この頃司馬穎もまた功績をかさに着て驕り高ぶり、司馬顒とともに司馬乂討伐の軍を立ち上げた。司馬乂は恵帝を奉じて迎撃に出、撃破。このとき司馬穎軍の将は陸遜りくそんの孫、「陸機りくき」であった。陸機は敗れると収監された。陸機は牢内で嘆じる。

華亭かていの鶴の鳴き声も、再び聞けることとなろうかな」

 弟の「陸雲りくうん」もまた司馬穎によって殺された。



蒙求もうぎゅう


龍逢板出りゅうほうはんしゅつ 張華台坼ちょうかだいたく

 後漢ごかんのひと宋均そうきんが著した「論語ろんご陰嬉いんきせん」に載る事績が元ネタ。ある朝、關龍逢の予言が刻まれた金属板が発掘された。そこには「臣が死ぬとき、桀王もまた囚われるであろう」と刻まれていたという。

 一方の張華は西晋せいしん武帝ぶてい賈南風かなんふう政権を大いに支えた人。賈南風は最強の悪女と言われる割にその政治はわりと安定していた。張華がよく支えていたためと言われる。その後八王はちおうの乱の立役者である司馬倫しばりんにより、賈南風もろとも殺されてしまう。殺害前夜、張華が就いていた司空しくうに相当する星座「だい」の星がけたのだそうだ。要は流星である。

 国亡に絡む、二人の忠臣の死にまつわる予言がセットになっているわけだ。


趙倫鶹怪ちょうりんりゅうかい 梁孝牛禍りょうこうぎゅうか

 西晋は司馬懿しばいの末子、司馬倫しばりん。かれは八王はちおうの乱に際し恵帝けいてい司馬衷しばちゅうより簒奪、皇帝を自称するも間もなく破滅する。破滅の前日、謎の怪鳥が司馬倫の前に姿を現していたという。

 前漢は呉楚七国ごそしちこくの乱平定に関与したりょう孝王こうおう劉武りゅうぶ。かれはもと景帝けいていの後継者であったが、やがてその地位を弟の武帝ぶていに奪われた。梁の地に帰って鬱々としていたところ、足が肩より上に出ている牛、つまり上下の順があべこべになっている生き物の献上を受けた。劉武はこれに怒り、憤死したという。

 破滅した王のもとにもたらされた動物の凶兆。


季倫錦障きりんきんしょう 春申珠履しゅんしんしゅり

石崇(晋)&春申君(史記)

 贅沢者バトルのお話である。西晋せいしん華やかなりし時に貨殖に励んだ石崇せきすう、あざな季倫は外戚の王愷おうがいとの贅沢バトルで、全長2km近くにも及ぶシルクのカーテンを作った。

 一方の春申君は、食客のうち上位のものには宝石でできた靴を履かせていたという。

 お前らさぁ……。


綠珠墜樓りょくしゅついろう 文君當壚ぶんくんとうろ

 八王はちおうの乱まっただ中の西晋さいしん緑珠りょくじゅという美女がいた。八王のひとり司馬倫しばりんの参謀が緑珠を夫から強奪しようと目論んだため、彼女は楼閣の上から身を投げ、死んだ。間もなく夫も殺されている。

 前漢武帝ぶていの時代、卓文君たくぶんくんという女性が司馬相如しばしょうじょと駆け落ちした。この顛末に父親は怒り、彼女を勘当したのだが、これにより司馬相如との生活は貧困に陥る。そこで卓文君は居酒屋を開き自ら接客に当たったため、ついには父親も折れて家財道具を彼女のもとに送ったという。

 このひとのためにならば、と行動を起こす女性ふたり。


武仲不休ぶちゅうふきゅう 士衡患多しこうかんた

 後漢章帝しょうていの時代に活躍した文人傅毅ふき、あざ武仲。彼は抜群の詩才を備えてこそいたが、いついつまでもずっと書いていないとその詩才を維持できなかった、と他者より批判されていた。

 もとに仕え、やがて西晋せいしんに仕えることになった三國志さんごくし陸遜りくそんの孫陸機りくき、あざな子衡。彼は抜群の文才を備えていたのだが、それ故にトラブルにも巻き込まれ、最後は八王の乱にて剛直を貫き、死んだ。

 すごい文人、性格も剛直。


鳴鶴日下めいかくじつか 士龍雲間しりゅううんかん

 西晋の張華の元にふたりの名士がやって来る。ふたりはそれぞれ自己紹介する。

「私が太陽の下で鳴く鶴。荀陰じゅんいんです」

「私が雲漢を飛ぶ龍、陸雲です」

 なお陸雲はこのあとの議論で荀陰にコテンパンにされた。

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