03-08-08 漢一 諸葛亮 終
やがて諸葛亮は重病にかかった。このとき空に大きな赤い星がまたたく。やがて星は諸葛亮の陣営のもとに落ちた。まもなくして諸葛亮は死んだ。
副官の「
かつて諸葛亮は兵法を独自に研究し、八種の陣型を図にまとめたことがあった。追撃を諦めた司馬懿は、諸葛亮が残していった本営跡の配置を確認し、感嘆する。
「奴こそが天下の奇材ではないか」
諸葛亮はまつりごとに私情を交えなかった。もともと
「
三國志の編者、
「諸葛亮はまごころを明らかとして天下国家のための施策を施した。その刑罰は峻厳であったが、恨むものもいなかった。まこと統治のなんたるかを知る逸材であった、と。ただしその才覚はあくまで統治のためのものであり、軍略はむしろ苦手であった」
と。しかし、これはありえぬことである。
諸葛亮は、かつて上表したことがある。いわく、
「臣は勿体なくも成都にて桑八百株ぶんと、荒れた田畑を 75ha ほど賜っております。臣の抱える子弟を養うには余りある食邑にございますれば、これ以上の俸禄を貪り、生活を贅沢にしようなどとは欠片も望んでおりませぬ。臣の死したる後にては、内外に余計な資産を抱えて、陛下に背こうとは思いませぬ」
死後、諸葛亮の家の資材は、まさしく諸葛亮の言葉通りの状況だった。
三国蜀が魏の支配する
挑発する英雄、応じる英雄。
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