03-08-08 漢一 諸葛亮 終

 諸葛亮しょかつりょうは何度も司馬懿しばいに決戦を挑もうとしたが、司馬懿が応じようとする気配がない。そこで諸葛亮は司馬懿に女向けの衣服を送り挑発。しかし司馬懿はやはり応じない。


 やがて諸葛亮は重病にかかった。このとき空に大きな赤い星がまたたく。やがて星は諸葛亮の陣営のもとに落ちた。まもなくして諸葛亮は死んだ。


 副官の「楊儀ようぎ」は軍を再編成し、しょくに帰還した。魏軍が追撃してきたため、姜維きょういは楊儀に敢えて軍を返し、太鼓を叩き、迎撃に出るかのような動きをさせた。魏軍は下手に接近できず、遂に見逃してしまった。



 かつて諸葛亮は兵法を独自に研究し、八種の陣型を図にまとめたことがあった。追撃を諦めた司馬懿は、諸葛亮が残していった本営跡の配置を確認し、感嘆する。


「奴こそが天下の奇材ではないか」



 諸葛亮はまつりごとに私情を交えなかった。もともと馬謖ばしょくは諸葛亮の旧知であったが、馬謖が敗北すると涙しながら斬罪に処した。ただしその家族については生活を維持できるよう取り計らった。

李平りへい」や「廖立びゅうりつ」は諸葛亮によって罷免されているが、諸葛亮が死亡したことを聞き、慟哭のあまり死んだりもした。


 三國志の編者、陳寿ちんじゅは諸葛亮伝における評にて語る。


「諸葛亮はまごころを明らかとして天下国家のための施策を施した。その刑罰は峻厳であったが、恨むものもいなかった。まこと統治のなんたるかを知る逸材であった、と。ただしその才覚はあくまで統治のためのものであり、軍略はむしろ苦手であった」


 と。しかし、これはありえぬことである。


 諸葛亮は、かつて上表したことがある。いわく、

「臣は勿体なくも成都にて桑八百株ぶんと、荒れた田畑を 75ha ほど賜っております。臣の抱える子弟を養うには余りある食邑にございますれば、これ以上の俸禄を貪り、生活を贅沢にしようなどとは欠片も望んでおりませぬ。臣の死したる後にては、内外に余計な資産を抱えて、陛下に背こうとは思いませぬ」


 死後、諸葛亮の家の資材は、まさしく諸葛亮の言葉通りの状況だった。忠武侯ちゅうぶこうと諡された。



蒙求もうぎゅう

亮遺巾幗りょういきんかく 備失匕箸びしつひちょ

 三国蜀が魏の支配する長安ちょうあんを攻め立てるも、司令官の司馬懿しばいはぜんぜん迎撃に出てこようとしない。しびれを切らした諸葛亮しょかつりょうは司馬懿に女物の衣服を送りつけた。女々しい奴め、と言うことだ。なお司馬懿はそれでも出てこなかった。

 曹操そうそう暗殺に巻き込まれた劉備りゅうびは、あるときいきなり曹操に「この世の英傑と言えば君と予くらいしかおるまいな」と言われた。聞きようによっては牽制としか取れないこの言葉を前に劉備は匙や箸を取り落す。直後雷が轟いたので雷に驚くふりをして取り繕ったのだが。

 挑発する英雄、応じる英雄。

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