02-08-03 新六 王莽 下

 23 年、諸将が平林へいりん軍のなかにあって更始将軍こうししょうぐんと号していた「劉玄りゅうげん」を皇帝に推戴した。なお四代前の先祖が劉縯りゅうえき兄弟と同じだが、より嫡流に近かった。諸将は劉玄が貪欲で弱気なのを見て取り、傀儡として立てたのである。

 仮の玉座につき臣下らを前にした劉玄はうつむき、席をなでさすり、冷や汗を流していた。号令らしい号令も掛けられなかった。

 大赦し更始と改元、えんを都とした。


 劉秀りゅうしゅう昆陽こんよう王莽おうもう軍を大破した。

 関中では「隗囂」が、蜀では「公孫述」が兵を起こした。


 劉玄は宛から軍を発し武関ぶかんを突破、長安ちょうあんに攻め込ませた。「鄧曄とうよう」が劉玄の軍を出迎えた。兵らは王莽を殺害、その首を劉玄の元に届けた。


 王莽は簒奪前に官名や州の境界をしばしば変更したため、朝廷内では雑務が多量に発生していた。また税の取り立ての方法も煩雑にしたし、簒奪後もしばしば貨幣の変更を命じたため市場は混乱し事業は止まった。貨幣変更ごとに旧貨幣を使うものが罪に問われたため罪人も増え、些細な罪で殺される者が多くなった。人々は漢の時代を懐かしみ、歌を歌った。

 加えて頻発する旱魃や蝗害。治安はどんどん悪化し、各所で謀反が発生する。そのような状況であっても王莽は「天がわしを天子とすべくお命じになったのだ、どうして漢兵がわしを殺せようか」と豪語した。

 のだが、結局殺され、その身体はミンチとされた。簒奪より滅亡まで十五年であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る