03-07-05 漢十 曹操 下

 曹操そうそうは、劉備りゅうびが逃げ延びた先である劉表りゅうひょうを攻撃する。間もなくして劉表は病死。子の「劉琮りゅうそう」は荊州けいしゅうを手土産として曹操に降伏。劉備が江陵こうりょうに逃れようとすると、曹操は追撃をかける。劉備が夏口かこうに逃れたところで、曹操は軍を江陵を進め占拠、更に長江ちょうこう下流に向かって進軍する。しかし赤壁せきへきにて曹操軍は壊滅。曹操自身もほうほうの体で逃げ落ちた。


 その後しばしば曹操はの「孫権そんけん」に攻撃を仕掛けたが、結局攻め落とせなかった。だので曹操は嘆息し、言う。

「孫権のような子が欲しかったものだがな! わしにすり寄った劉表の子なぞ、豚か犬かでしかないではないか!」


 赤壁で呉軍に参与した劉備が、今度は益州えきしゅうを、続いて漢中かんちゅうを獲得。劉邦りゅうほうと同じ漢中王かんちゅうおうを自称する。漢中将の関羽かんうは江陵から出立、樊城はんじょうを攻撃の上、襄陽じょうようを獲得した。曹操の根拠地であるきょより南の勢力は、何かあればすぐさま関羽に呼応するような状態となる。曹操陣営に衝撃が走り、曹操すら、許から都を移した方がいいのではないか、とまで言い始める。

 しかしここで「司馬懿しばい」が言う。

「劉備と孫権は表向き親しくしておりますが、本心では疎んじ合っております。ここで関羽が大功を挙げられるのは、孫権も望むところではないでしょう。こちらから孫権に使者を飛ばして、関羽の背後を患わせるようお伝えなさい。その上で、許より南の支配権を孫権に譲る、とでも言ってやればよろしい」

 曹操はこの献策に従った。


 やがて曹操は丞相じょうしょうの官位を得、冀州きしゅう牧を兼務することとなった。また公に封じられ、銅雀台どうじゃくだいぎょうにつくり、その権勢を高らかに宣言する。更に魏王に進爵されると、天子と同等の車および服が支給された。宮廷への出入りには警護兵による交通止めがなされるようにもなった。子の「曹丕そうひ」を太子とした。


 曹操が死ぬと曹丕が立った。

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