第34話
季節は本格的な冬を迎え、12月になった。
あれからみなみの本格的な復帰が正式に決まった。
公の場での初のお披露目は翌年1月にある音楽の特別番組。
それに合わせて新曲をリリースする事も決まり、プロモーション等、様々な準備に追われ、寝る間もないくらい毎日忙しくなった。
夕陽とはあの旅行以来、まともに話していない。
簡単なメッセージのやり取りはあったものの、その大半は挨拶程度の軽いものだ。
同じマンションに住んではいるが、互いの生活時間が違うので偶然顔を合わせる事もない。
淋しくないといえば嘘になる。
そんな時、みなみは首にかかる指抜きを見る。
それだけで幸せな気持ちになれる気がした。
☆☆☆
「トロピカルエースの永瀬みなみ、一般男性と電撃入籍」
「永瀬みなみ、電撃結婚。相手は一般男性」
メモにそんな言葉を書き綴り、みなみはため息を吐いた。
「あれあれ、もしかしてもしかして、みーちゃんデキちゃったの?」
「わっ、エナ」
所属事務所のホールでぼんやりしていたみなみに声をかけたのは、同じトロピカルエースのメンバー、後島エナだった。
後島エナ、通称「エナち」。
元プロ野球選手の娘で、みなみと同じ一般オーディションからトロピカルエースに加入した女の子だ。
年齢はみなみが一年留年しているので一つ下の18才。
「みーちゃんのカレシさん、一般のヒト?」
「わっ。違うから。別に彼氏なんていないから」
みなみは慌ててメモを片付ける。
そんなみなみの同様を見て、エナは数回瞬きする。
つけ睫毛でもっさりした瞼は瞬くとバサバサ音を立てそうだ。
「隠さなくてダイジョブだよ?ナイショなら誰にも言わないし」
それは本心だろう。
後島エナは良くも悪くも裏表のない子だから。
「うん。でも本当にいないから」
「そっか。わかった。じゃあワタシはこれから水中大食い大会のロケがあるからサラバなのだ」
「えっ、水中大食い?何それ」
みなみは思い切り顔を顰める。
するとエナは両手を上へ上げ、肩をすくめた。
「さぁ?読んで字の如く、水ん中でご飯一杯食べるんじゃない?」
「……コンプラ的に大丈夫なの?それ」
「うーん。どうかな。ウチの事務所、基本NGナシだからオファー来たらとりま何も考えず受けちゃう風潮じゃん」
「考えようよ〜。社長」
「あははは。無理無理。うちらは黙って馬車馬のように働いて、社長の金庫パンパンにさせんのが使命だっしょ?」
みなみは軽く笑った。
「そーゆーの、社畜って言うんだね」
エナは親指を上向きに立てて、去っていった。
「はぁ…。来月からは我が身かぁ」
ワクワクするようなそうでないような。
そんな複雑な気持ちを抱え、みなみもレッスンを再開するべく立ち上がった。
「とにかく前に進まないとね。私にはクリスマスもお正月もないっ!」
☆☆☆
「そういえば来週はクリスマスだよねー」
こちらは夕陽たちの会社。
昼食を終え、いつもの社食で夕陽は笹島、佐久間、三輪という同期トリオと井戸端会議的な雑談に興じていた。
「だなー。まぁ僕にとってはクリスマスも普通の平日に変わりないんだけどね」
三輪は軽く笑いながら紙コップのコーヒーを一口啜る。
三輪は顔立ちもそこそこ整っているし、女性の扱いもスマートなので少し本気を出せば恋人くらい出来そうなものだと夕陽は内心思っているのだが、三輪は「ボクは理想が高いの」と言って、いつもはぐらかされてしまう。
「俺も俺も」
佐久間も三輪に同意するが、三人は半眼だ。
「オッサンは言わなくてもわかる」
「酷いなぁ」
「でも、夕陽は違うんじゃないの?」
全ての事情を知っている笹島だけが夕陽に意味深な視線を寄越してきた。
しかし夕陽はそれを一蹴する。
「別に。俺も普通の平日だよ。大体誰でも実家出たらそんなもんだろう?」
「だね〜。一人でケーキ買って、チキンも買ったら絶対泣いてしまうぞ」
三輪が切ない目で訴える。
「まぁ、ああいうのは家族や恋人がいる人限定のイベントだからな」
「………」
佐久間の言葉に三人には無言になる。
夕陽はぼんやり考える。
みなみはどこでどんなクリスマスを迎えるのだろうかと。
「そうそう、それじゃ年末年始は皆んなはどうすんの?俺は実家住まいだから、いつもと変わらんけど」
この中で実家住まいなのは笹島だけだ。
佐久間と三輪は出身が福井と島根なので、この会社のすぐ真裏にある単身者向けのマンションを借りている。
「あ〜、ボクは今年は帰省パスかなぁ。今回長期休暇で上海にいる叔父が来るっていうからね。そのまま年末から向こうの旧正月までいるらしいよ。ボク、その叔父が苦手でさ」
三輪はうんざりした顔で息を吐き出す。
彼の叔父は中国に渡り、飲食店を営んでいる。
当時日本に留学していた中国人の奥さんと結婚し、すぐに奥さんの店を継ぐ為、日本を離れた。
直情的で思った事を何でも口にする叔父を三輪は苦手とし、彼が帰国する度に何かと理由をつけて会わないようにしている。
「へぇ、そいつは長いな。俺は帰るよ。島根にはまだ友達も多く残ってるから、今から飲みに行ったりするのが楽しみだよ」
佐久間は楽しそうに目尻の皺を深める。
「へぇ、俺も正月は実家に帰る予定。妹も岡山から戻ってくるし」
夕陽の実家は東京で、笹島の兄の職場である三軒茶屋の和菓子屋のすぐ近くにある。
すると笹島は皆にわからないよう、テーブルの下からメッセージを作成し、夕陽に送信してきた。
……「みなみんとはどうなってるの?」
それを見た夕陽は向かい席の笹島を軽く睨み、「問題ナシ」というスタンプを返信した。
まぁ、それは事実で、今は彼女とはすれ違いの生活を送っているが、別に何も問題はない。
あの予期せぬプロポーズから多少気まずくはあるが、気持ちは変わらないはずだ。
「そっか。三輪以外は実家かぁ。じゃあ東京組は元旦、集まっちゃう?」
笹島の妙な提案に夕陽と三輪は嫌な顔をした。
「却下だろ。それ」
「うん。ボクもそう思う」
「何でだよ。きっと楽しいって。アガるって!」
前に笹島と正月に別の友人と集まった事があるのだが、はっきり言って地獄絵図だったのを今も思い出す。
教訓、安易に地元の男友達と正月に群れてはいけない。
「はぁ…。それにしても暇な正月になるなぁ。何か実家に彼女とか連れて凱旋とかサプライズかましてぇ」
「笹島の妄想、マジキてるな。ていうか、実家住まいで凱旋もないだろうが」
三輪は憐れむように肩をすくめる。
「彼女をイベント扱いするなよ。それよりこの中で、一度でも実家の両親に彼女紹介した事あるヤツいるか?」
佐久間がふと思いついたように提案を設ける。
一堂に重苦しい空気が漂う。
「…………」
やがて夕陽がようやく口を開いた。
「四人のうち半数が彼女いない暦=年齢なのを忘れてないか?」
「……だねぇ。ちなみにボクはないよ」
三輪は片手をヒラヒラさせる。
「ちなみに俺もないな」
「えー、夕陽もないの?一度も?」
「笹島、そこそんなに食い気味になるなよ」
夕陽はうんざりしたように顔を顰める。
「マジでないよ。大体紹介してどうすんだよ。紹介する時って結婚の挨拶くらいだろうな」
そう言ってから夕陽はあの一等星のプロポーズを思い出して、冷や汗を浮かべた。
「そうだな。確かに結婚するわけでもないのに紹介はハードル高いイベントだね。もし別れでもしたら、父親なんかに「おい、最近彼女来ないけどどうした?」とか聞かれたらマジ、メンタル持ってかれるわ〜」
三輪が机に突っ伏す。
「あ、そういえば俺の親には紹介してないけど、向こうの親に会った事はあったな」
そこで夕陽は何となく記憶にあった過去の恋愛を思い出す。
「何々?何そのエモいエピソード」
「エモくねぇよ。それに正式に紹介されたんじゃなくて偶然会ったみたいな感じだよ」
夕陽は三人に説明した。
高校生二年の冬に当時付き合っていた彼女がケーキ屋でバイトをしていて、夕陽はいつもそのバイトが終わると彼女を迎えに行き、家まで送っていたのだ。
その日も同じように家まで送ったのだが、家の門まで来ると、彼女が何かを待つように顔をこちらに向けてきたので、察した夕陽は彼女とキスをした。
そのタイミングで家の扉が開いて、犬のリードを手にした彼女の父親にバッチリ見られてしまったという話だ。
「げっ、最悪なタイミングじゃん」
「まぁな。…で、その父親が難しい顔をして、俺に中へ入りなさいって言うんだよ」
「ひぃぃっ、お前のような薄汚いドブネズミに娘は渡さん!…的な?」
笹島は自分を抱き締めるような気持ちの悪い仕草をしている。
「誰がドブネズミだよ。…まぁ、俺もてっきりこれは殴られるって思ったけど、中に入ったら、ホカホカの晩飯が出てきて、彼女と彼女の家族と一緒に晩飯食べたってオチ」
その後、その父親は度々夕陽を家に招いてくれて、釣りに連れて行ってもらい、釣りが趣味になった。
正直この他に彼女との思い出は特にないのだが、彼女の父親の事は今でも鮮明に覚えている。
結局その彼女は、翌年の夏に他に好きな人が出来たという事で別れた。
夕陽は彼女との別れよりも、もう彼女の父親に会えない事の方を淋しく思っていた。
「はははっ、でも親に大切な人を紹介するってさぁ、俺には最高の親孝行に思えるなぁ」
笹島はそう言って残りのコーヒーを飲み干した。
「お前はその前に相手探せよな」
三輪が笑う。
「うううっ。来年こそ、リアル充実させる〜っ!」
笹島の意気込みを聞いて、夕陽は考える。
「両親に紹介…………か」
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