第64話

「あの……いただきます」


「はい。どうぞ召し上がれ」


ここは以前、さらさに傘を返した公園だ。

その以前と同じベンチで、夕陽は膝の上に乗せた弁当の蓋を開ける。


一体自分は何をやっているのだろう。

一般男性が人気アイドルの手作り弁当を食べるなんて、そうそうあるものではない。

身に余る光栄だろう。


しかし相手は恋人が所属する同じアイドルグループのメンバーなのだ。

気まずい事、この上ない。



「あ、これは巻き寿司ですね。すごく凝ってるな…」



弁当は綺麗な具材が揃った巻き寿司と稲荷寿司、そして卵焼きとサラダが入ったシンプルなものだが、どれも手間を掛けた事が窺える丁寧な仕上がりだった。


思えばこの手の料理は母親の手料理から遠ざかって数年、出来合いのものは何度かあったが、手作りを口にした事はなかった。


これは特に料理好きな自分でも作ろうとは思わないので久しぶりだった。


「わぁ、嬉しい。王子は何が好きかわからなかったから、すごく迷ったんだけど結局、自分の得意な物にしたの」


「いや手作りでこのクオリティ。料理、お上手なんですね」


あまり夕陽の周りには料理の得意な女性がいなかったのでこれは意外だった。

みなみも作れる事は作れるのだが、あまり料理自体に興味がないようで、その腕前は中学生の家庭科レベルだった。


さらさは照れたように頬を染める。


「私の場合、それが生きていく為の手段のようなものだったから…。オシャレな物も作れないし、お菓子なんて砂糖や卵が勿体無くてつくる気にすらならなかったわ。だからテレビの仕事では思いっきり使ってやったの」


そう言ってさらさは笑った。

こうして見ると、テレビや雑誌で見るような派手な外見とは違い、とても堅実でしっかりした女性だと思う。

 

夕陽が箸を取って、巻き寿司を口に入れた。

瑞々しい野菜と沢庵、卵焼き等の具材がごま油を混ぜたご飯にとても合う。

どうやらこの巻き寿司は韓国風のキンパらしい。


するとそれを隣で幸せそうに眺めていたさらさのお腹がグゥグゥ鳴った。


「おっ。アイドルの腹の音、初めて聞きました」


「あわあわあぁぁっ。これは、き…聞かなかった事にして」


さらさは身を小さくして俯いた。


「森さんも食べたらどうです?」


夕陽は弁当箱をさらさの方へ向ける。


「ダメっ。これは王子のだから。あなたに全部食べてもらいたいの」


さらさは思い切り首をブンブン振る。

こういう時の彼女は絶対自分の意思を曲げない。


「面ど……いや、真面目な人だなぁ……じゃあ、コレで」


短い付き合いでそれがわかった夕陽は、カバンをゴソゴソ探り、それを彼女の手へ滑り込ませた。


「あっ、これって……」


「俺の非常食っす」


それはいつも夕陽が持ち歩いている栄養補助食品だった。

仕事が長引いて昼食を摂れなかったりする事もあるので、カバンに何個か忍ばせているものだ。

パッケージを見たさらさは顔を綻ばせる。


「あっ。チーズ味だ。これ一番好きなのっ」


「へぇ、そうなんですか。俺も好きですよ。甘いのは間食としてはアリなんですけど、食事としては微妙なんで、こればかり買ってます」


「す……き?」


「いや、ソレのチーズ味がですよ?」


「………ですよね」


さらさは何故かガッカリしたような顔で、栄養補助ブロックを齧る。


「ねぇ、来週トロピカルエースのライブがあるんだけど知ってる?」


「ええ。知ってますよ?ファイナルは参加する予定ですから」


するとさらさの顔がパッと華やぐ。


「そうなの?もしかして………その、…私を見に行く為だったり」


「いえ、違います」


「………ですよね」



………やっぱり面白い人だな。



夕陽は隣で百面相している年上のアイドルを見て笑みを浮かべる。



「お弁当、ごちそうさまでした。美味しかったです」


「お粗末さまでした。また作ってもいい?」


さらさが上目遣いでこちらを見上げてくる。

何となくそう来ると感じていた夕陽は顔を強張らせた。


「いえ、これは傘の礼って事で今回限りにしてください」


「……あなたも融通が効かないわよね」


「それはお互い様です」



夕陽はそう言って立ち上がる。

さらさはまだ何か言いたげにモジモジしている。


「じゃあ、あの…これで失礼します」


弁当箱を大事そうに抱えるさらさに夕陽は軽く頭を下げる。


「はい。今日は……その…ありがとう」


さらさも頬を染め、頭を下げた。



「いえ、こちらこそ。では」



そう言って、夕陽は公園を去っていく。

残ったさらさは顔を覆ってしばらくそこから動けないでいた。



「はぁ…。何も言えなかった〜っ。楽屋に呼びたかったし、連絡先も聞きたかった、どこに住んでいるのかも…全然聞きたい事聞けなかった。何やってんだろ。私」


どんな場面でも緊張しないはずのさらさが、言葉に詰まって、言いたい事をほとんど伝えられないとは。


「……やっぱり、私は王子が好きなんだ」


顔を膝に伏せたまま、さらさは呟く。

そしてたった今、自覚した想いに身を捩った。


「……どうしよう。どうしたらあの人と付き合えるんだろう」



幼い頃から金を稼ぐ事しか考えず生きてきたさらさには、この突然降って湧いたような恋心をどう開花させていいのかわからなかった。








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