第63話
「一応聞くけど、これは何だ?」
「え?何って、うちわとペンラ、それから推しTだけど?」
トロピカルエースのツアーは多少のアクシデントはあったものの、それ以外は順調に消化され、ついに来週東京でファイナルを迎える事になった。
夕陽もその日に参戦する予定で、目下その準備中である。
「それは見ればわかる。俺が言いたいのは、これを俺にどうしろと言いたいんだ?」
みなみは自分のグッズである「推しが尊すぎるTシャツ」を夕陽の身体に当てた。
「だからライブにこれ着て、客席からアピってねって事。夕陽さん、鈍いなぁ」
「鈍くねぇ…予想通りな展開だったから、わざとスルーしたに決まってるだろ。俺は着ないぞ。大体俺はお前を推してるわけじゃないんだ」
「えーっ。それは聞き捨てならないなぁ。もしかして他に推しがいるの?やっぱり早乙女さん?いや…エナとか?」
「……わかってるくせに」
そう言って夕陽はみなみの口唇に軽く口付ける。
夕陽は永瀬みなみのファンではなく、長瀬巳波の恋人なのだ。
「………よそ見はダメなんだからね。夕陽さん」
「何がだよ」
みなみはしがみつくように夕陽の肩に両手を回す。
「他に目移りしないで、推しは私だけにしてねって事。私は心配なんだよ。夕陽さん、絶対私よりモテてるでしょ」
みなみは拗ねたように夕陽の肩口に顔を押し当てる。
何だかそれがやけに可愛く見え、夕陽は包み込むように彼女の身体に腕を回した。
「何を言うかと思えば馬鹿馬鹿しい。お前はアイドルなんだぞ。どれだけのファンがいると思っるんだ。そういう意味なら俺の方こそ心配だ」
「私は大丈夫だもん。だって夕陽さん以外の男の人。気持ち悪い…」
「言い方……」
大凡アイドルとは思えないセリフに夕陽は苦笑した。
まだみなみの異性に対する恐怖心は完全に消えたわけではないらしい。
「とにかく、ライブは来てね。待ってるから」
「あぁ。わかってる」
夕陽は彼女を抱く腕に力を込めた。
☆☆☆
翌日。
仕事帰りに食材調達がてらスーパーへ寄った夕陽は意外な人物と遭遇する。
「あれ、もしかして森さん…?」
スーパーで米を見ていると、視界にブランド物の大きなサングラスをした若い女性が、売り場をウロウロしているのが入り込んできた。
服装は地味めで化粧も抑えているが、それは森さらさだった。
思わず声をかけると、さらさは大袈裟に喜び、犬のように駆け寄って来た。
そして距離を詰め、小声で囁く。
「あーっ。いたっ!もう、あなた毎日スーパー来てないの?探したじゃない」
「は?毎日って俺は主婦じゃないですから、精々週一回か二回くらいですよ。それより探したとは?」
何やら今日のさらさは忙しない様子だ。
確かツアーもファイナル間近で休む暇もない、分刻みのスケジュールではないのだろうか。
みなみも今日は一日、振り付けのレッスンで帰り時間は未定だと言っていた。
「これ、王子に渡したくて…」
そう言ってさらさはカバンからお弁当の包みのような物を取り出す。
「王子は止めてくださいと言ったのに…。それであの……ソレ何ですか?」
「胃袋っ!」
「えっ?俺、臓物系は苦手で……」
「あああっ、違うっ!今のナシ。お弁当よ。普通の」
さらさは顔を赤くして俯く。
「何故弁当を俺に?」
「………だから、傘のお礼…じゃだめかしら?」
「それ結構前ですよね。別にもういいですよ。その件は」
何だかこれ以上彼女と関わってはいけない予感がして夕陽はさっさと会計を済ませ、店を出ようとする。
しかしさらさはまだ付いて来た。
「あの…、ずっとこれを渡したくて、でも王子はなかなか来ないし、何回も作り直す内に凄く上手くなったのよ。だから…」
不意にさらさの手元の弁当が消えた。
顔を上げると、夕陽が弁当を手にしている。
「仕方ないですね。では傘の件はもうこれで終わりですよ?」
さらさは嬉しそうに何度も頷いた。
……マズいな。これは何か厭な予感がする。
夕陽はその笑顔に言い知れぬ不安を覚えた。
スミマセン、この後もうちょっと続くのですが、今回はここまでという事で…。
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