第62話

……「on time」のリーダー、秋海棠一十(26)睡眠薬の過剰摂取で緊急搬送。



「これ、マジびびったよな」


スマホのニュースサイトを眺めながら笹島はカレーうどんを啜る。


昼時だというのに社食は相変わらず今日も賑わっておらず、空席が目立つ。

果たしてここの経営は本当に大丈夫なのだろうかと利用者としては少々不安になる。



「あぁ。でも命には別条ないんだろう?」



秋海棠一十はみなみが所属するトロピカルエースのプロデューサーなので夕陽としても心配だったのだが、今朝みなみから連絡が入り、彼の無事が知らせられた。


「らしいね。でもさ、ちょっと検索してみたら、秋海棠一十って十代の頃はよくこんな風に自殺未遂繰り返してたらしいぜ」


「……マジか」


笹島は頷く。


「何か噂だと、秋海棠一十って大病院の息子でさ、何かある度に親が揉み消してたらしいぜ。それで二十代になってからはそれがパッタリ止んだと思ってた矢先に、今回の事件だからな〜」


「へぇ…」


スマホのニュース画面にある一十の写真は、どこか儚げで今にも消えてしまいそうなくらい繊細な印象だ。


「でもなぁ…秋海棠一十の曲はやっぱいいんだよな。とにかく刺さる。でもどっちかっていうと男に歌わせるより、トロエーのような女の子に歌わせた方が合うんだよな」


一十が得意とする高音を生かした独特なメロディーラインはどこか昔の歌謡曲を思わせる。

それがティーン世代には新しく感じ、更に上の世代には耳に馴染んだ懐かしさを感じるらしい。

夕陽も初期の頃のCDは何枚か持っていた。


「俺、ボーカルが変わってからは聴いてなかったけど、何で変わったんだ?」


「あぁ、確か家の仕事継ぐって言ってたような気がするな。実家が造り酒屋だったかな。でもさ、今のボーカルめちゃ若くなって驚いたよな」


「on time」は二年前に現在のボーカルに交代している。

当時は不仲説もあったが、家業を継いだのは本当だったようだ。


「日羽渉…だっけ?確かに若かったよな。今でも十代じゃないのか?」


「あぁ。そーそー。天才歌ウマ少年。加入した時15で、すげぇ話題になった。今でも17だから若いよ。でもさ、日羽の加入で更に人気に火が着いたって感じだった。特に女子人気が」


「へぇ、俺はそこからあまり聴かなくなったからなぁ」


夕陽は食べ終わった親子丼のトレイを持って立ち上がる。

笹島もそれに続く。


「まぁ、トロエーのツアーには何も影響ないらしいから、しばらくは様子見って感じじゃね?」


「そうだな……」


トレイを片付けて社食を出ると、温い空気が冷房で冷えた身体にまとわりつく。


「うわぁ。そういえば今日って猛暑日だったよな」


夕陽が顔を顰める。

すると笹島が情けない声を上げる。



「げっ、35度だってよ。俺これから外回りなんだけど。神奈川の催し物の現調…」


「頑張れよ。俺は午後からはクーラーの効いた会議室で打ち合わせだ」


「ちっ。お前、一体前世でどんだけ徳積んだんだよ。羨まし過ぎるだろ〜」


「何なんだよ。大袈裟だな……」


夕陽はうんざりした顔で首筋に浮かぶ汗を拭った。



         ☆☆☆



「そういえば王子ってどんなもの食べるんだろう…」



カヌーで濁流を下るという冒険系のロケの休憩時間。

横からケータリングの軽食のいい匂いが漂う。

それを横目に見ながら、森さらさはそんな事を考えていた。


あの日、王子…こと、真鍋夕陽と出会ってから、どうも彼の事ばかり考えてしまう。


今、トロピカルエースはプロデューサーである秋海棠一十の事件で事務所内外で騒然となっているが、さらさ達は結構蚊帳の外な状態であまり緊迫感はなかった。


一十と近しい陽菜やエナはずっと病院に付き添っているが、残りのさらさや他のメンバー達は一昨日、見舞いに行っただけだ。


その時の一十はもう落ち着いていて、事情を尋ねた日羽渉に何事もない顔で「ついカッとなって、やっちゃった☆」といつもの無気力な棒読み台詞で健在をアピールしていた。


それを見て、安心したメンバー等はそのまま帰宅し、何かあればマネージャーから連絡するという形になったのだ。


こうしてさらさはいつも通りツアーの合間を縫って地方と東京を行き来し、仕事に精を出していた。



「王子?何なんですそれ」



そんな休憩中の独り言を聞いていたのか、タレントの来生きすぎセナが首を傾げる。


セナは子役時代からの知り合いで、友達という程親しくはないが、歳も近く話しやすいので会えば雑談するくらいの仲だ。



「わわっ、えっと…独り言だから。特に意味なんてないわよ」


「へぇ、独り言ねぇ。でも王子様が食べる物っていったら、やっぱり世界三大珍味はいくでしょ」


このままスルーして欲しかったのだが、何故かセナはその話題が気に入ったのか思い切り乗っかってきた。


「せ…世界三大珍味?キャビアとか、フォアグラとか?」


「そーそー。とにかく庶民じゃ手が出せない系。ドリアンとかピータンとか雀の巣とか」


「待った。スズメの巣は高級珍味じゃないからね。…というか、王子ってあだ名のようなもので、本当の王子と違うから」


「そうなの?」


ちなみにそのツバメの巣だが、世界でも限られた地域でしか採れない高級食材である。


しかしツバメといっても日本に生息するような一般的なツバメとは種類が違う。

去年さらさと怜はそれを求めてマレーシアへロケに行った経験があるので、その希少性は十分理解していた。


だが、一体その一貫性のないものを主食とする王子とはどこの国の王子なのだろう。


「でも、やっぱりオニギリとかは食べないか…」


「食べないでしょ。王子様がオニギリ片手にガラスの靴持ってシンデレラ探してたら、シンデレラこっそり裏口から逃げ出すわ」


「だから、そういう王子じゃないんだって…」


しかしセナはさらさの呟きに気付く事なく、笑いながらケータリングのサンドイッチ目掛けてへ駆け出していた。


さらさは一応セナの挙げたものをメモしながらため息を吐いた。


さらさの得意料理はどちらかというと、節約料理と呼ばれるもので、いかに他の安価な材料で割高な食材をかさ増し出来るかに拘ったものばかりだ。


とても王子の口に合うとは思えない。


男の心を自分へ向けるには手料理の力は絶大だ。

何となく楽屋で手に取った誰かの私物の雑誌にそのような事が掲載されていた。


「はぁ…大体王子が何を好きかもわからないし、連絡先も知らないのよね。どうしたらいいんだろう」



考えれば考えるほど、彼に会いたい気持ちが募っていく。

どうしてそう思うのかわからない。

こんなに誰かの事で頭が一杯になるのは初めてだった。



「何かきっかけがあれば……」



このざわざわした気持ちが何のかは、きっともう一度彼に会わないと答えがわからない。

さらさは自分から動き出す決意を固めた。



























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