第82話
「さて…、右良し。左……良し」
マンションのエントランスに、マスク姿の怪しい男がいた。
名前は真鍋夕陽。
一応この作品の主人公である。
その夕陽は視線を前後左右に人影がない事を確認すると、駅まで早足に移動する。
その間も突然、どこからかやって来た知らない誰かに話かけられるのではないかと、内心ビクビクした。
そして何とか誰にも話しかけられる事なく、電車に乗り込むと、いつもの車両には笹島の姿があった。
その笹島は夕陽の姿を見ると、鬼気迫る勢いで詰め寄ってきた。
その目の下には隈があり、自慢のアフロも少しボリュームダウンしているように見えた。
「おいっ、夕陽。何でずっと電話もメールも返さないんだよ。心配しただろうが!」
「あ、悪い。お前に連絡すんの忘れてたわ」
そこでようやく夕陽は、笹島に何も連絡を入れていなかった事に気付いた。
昨日はそれどころではないくらい動揺していたのだ。
「………何だ。単に忘れられただけかぁ。良かっ……ねぇよ。俺も一昨日から昨日、すげぇハードでヘビィなイベント満載だったんだぞ」
他の乗客の迷惑にならないよう、小声を心掛けるつもりが、ついヒートアップしそうになり、笹島は口元を片手で覆う。
「ハードでヘビィ?たかが釣り堀で、そんなドラマチックな展開になったのか?」
土日はいつものように釣り堀へ行ったと思い込んでいる夕陽は困惑顔だ。
「行ってねーよ。いや、それどころじゃなかったわ。それよりももっとドエロ……いや、ドエライ目に遭ったんだよ」
笹島は土曜に薔薇たちに拉致されて、ナユタを連れ帰った経緯を夕陽に話した。
するとみるみるうちに夕陽の顔色が変わっていく。
「な…何だよそれ。森さんの親族に恋人と間違われて拉致られたって事か?」
「そーそー。何か森さらの血の繋がらない義理の姉さんが、コネでツアーのヘアメイクやってて、そん時に楽屋で俺と話してたとこ見て、勝手に恋人と間違えたらしい」
「お前を?」
夕陽が信じられないと言いたげな顔をする。
「いやいやマジな話だよ。そういや楽屋入る時、身元確認みてぇなの書かされたじゃん。あれで身バレしたみたいだな。怖い話だよ」
「マジか…。ヤバいな。それ」
「ま、ライブ後は大分バタバタしてたし?」
そんな話をしている内に電車は目的の駅へ着いた。
二人は改札を出て、会社までの道のりを並んで歩く。
「それより、お前の方はどうなったんだよ。あの写真、ボカし入ってたけどお前だろ?」
「……あぁ。前にちょっと会った時のな。ライブの少し前だよ。だけど別にデートとかそういうのじゃない」
笹島は難しい顔で頷く。
「うん。まぁ、お前は簡単に浮気するようなヤツじゃないよな。それはこれまでのお前を見てたらわかるし信じるさ。だけど、これからどうするんだ?」
「どうするって?」
「いや、森さらとの熱愛は誤報だとして、本当は森さらじゃなくて、みなみんと熱愛中みたいな事、発表するのかって事」
夕陽はギョっとして笹島を見た。
「いやいやいや、それはないだろ。あり得ねえよ。森さんとスクープ撮られた男が同じグループの別のメンバーとって、絶対二股かけてると思われるぞ」
「だよなー。事情何も知らなかったら、俺もそう思うわ。めっちゃタイミング悪いよな」
「そんな事が発覚したら、みなみにとっても相当なダメージになるよな…」
「…………」
「…………」
二人はしばらく黙り込んでしまう。
「俺さ、喜多浦さんに相談してみようと思ってる」
「は?…それってもしかしなくても、トロエーのキタヒナの事?」
笹島は驚愕の表情で夕陽を凝視した。
「あぁ。あのライブの時、一度この件の事がちょっと問題になったんだ。それで、もしこの件で困った事になったら相談してと言ってくれたんだ」
「マジ?そんな奇跡の連続あるのかよ。夕陽、無双過ぎて怖ぇわ」
「あのなぁ、人をハーレムモノの主人公のように見るな。全く違うから」
「まぁ、それはそうだよな〜。キタヒナっていえば昔から「on time」の秋海棠一十とデキてるってウワサあるし」
「…そうなのか?」
笹島は大き頷く。
「結構有名な話だぞ。だからトロエーのメンバーに秋海棠一十がキタヒナ指名した時、皆やっぱりな〜って、ウワサはマジもんか〜って思ったもん」
「へぇ…」
そういえば秋海棠一十はライブ前に自殺未遂で救急搬送されていた。
しばらくの間、ニュース等で彼の容体が報道されていたが、退院したというニュースに関しては見なかった気がする。
多分もうとっくに退院していると思うが、マスコミというのはそういうものだ。
何かその件とそのウワサは関係があるのだろうか。
そんな事を考えながら歩いていると、いつの間にか会社の前に着いていた。
一応、マスコミの姿がないか確認する。
会社はいつもと同じく、別段変わった様子はない。
それを見た笹島は軽く肩をすくめる。
「もしかして、マスコミがワッと殺到するかと思ってんの?」
「………まぁ、ないよな」
「相手の一般男性の方、詰め掛けてもつまらんでしょ。つかそれはNGじゃん。公人じゃないんだし」
「だよな……でもどこで写真撮られてるかわからないって考えると警戒はするよ」
夕陽はため息を吐いた。
あれから夕陽なりに色々考えた。
顔と名前を晒して仕事をする、アイドルとの交際についてを。
常に彼女たちは注目されている。
そんな相手と交際するには、自分もある程度自衛は必要だ。
その辺りが自分は甘かったのだ。
「大丈夫だよ。きっと何とかなるって。俺はさぁ、森さらが今の家族…主に笠原潤也夫妻と完全に縁を切ってもらおうと思ってる」
「それって、森さんの義理の姉の?」
「そうそう。アイツが諸悪の根源。つまりラスボスだよ。アイツを何とかしないと森さらもナユタも幸せになれないじゃん」
笹島はグッと拳を握りしめる。
「何かマジでお前にも色々あった週末だったんだな…」
そい言って、夕陽は笹島に「頑張れよ」と肩を叩いて、職場へ入った。
☆☆☆
一歩、こちらは芸能事務所「six moon」の会議室。
中には社長と数人の幹部、それからトロピカルエースのマネージャーと森さらさが事実確認の為に集まっていた。
「……大丈夫ですよね。早乙女さん」
会議室の前には、不安げな永瀬みなみと乙女乃怜がいた。
怜は大きなため息を吐く。
「何でこんなややこしい事になっているのよ。貴方と森さんが真鍋さんを取り合ってるって……」
「違うよ。そうじゃないんです。お互い知らなかっただけで…」
「知らなかったにせよ、これで森さんは真鍋さんが貴方の恋人だってわかるはずよ。どうするつもり?」
「………」
「そろそろ会議が始まって一時間ね」
怜は時計を見て舌打ちした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます