第50話「吾輩の彼女はアイドルである」
「…俺の彼女はアイドルである」
名前は永瀬みなみ。
アイドルグループ、トロピカルエースのメンバーで、相方の夕陽と組むと主にボケ担当…ではなく、歴とした恋人だ。
それも知名度のない地下アイドルではなく、一日に一回はテレビで見かけるくらいに売れているアイドルだ。
しかし夕陽の知るアイドル、永瀬みなみは大抵ボサボサの髪に黒縁メガネ。格好もジャージかスエット姿で、夕陽が想像するような芸能人オーラは欠片も感じない。
とてもテレビで可愛い衣装を纏い、甘いラブソングを歌う永瀬みなみと、今自分の部屋で寝そべり、ポテチを摘みながらグロい青年漫画をニヤニヤ笑って読んでいる女の子が同一人物とは思えないだろう。
第一、彼女は夕陽の前でフルメイクを見せた事がない。
普通、逆ではないだろうか。
大抵みなみはすっぴんで現れる。
すっぴんでも元が整っているので、そんなにフルメイクとの差はないはずだが、やはりテレビで見る彼女と違って見える。
例えるなら、永瀬みなみに似た劣化版。
そっくりさん。
……ではないのだろうか。
「まさか6話の最後でダマされたんじゃないだろうな…」
そんな事を考えながら、今日も夕陽は彼女の汚した部屋の片付けをする。
やがてソファの座面と背もたれの間に挟まれた淡いブルーの布地に目がいく。
「……なんで、俺の部屋にブラジャーが落ちてるんだよ」
「あ、それ私のだ♡」
するとみなみが少しも恥ずかしがるような素振りもなく、それを夕陽の手から受け取る。
「いや、お前以外いねぇだろ」
いたとしたら、それはまた新たな問題になる。
「あははは。そういえばそうだね〜。ちょっとワイヤーの締め付けがキツくて、ウザいから外しちゃったんだ」
「は?もしかして今……」
「やだな。夕陽さん。そこは大丈夫!安心して下さい!ナイトブラしてるから♡」
みなみは何を安心しろというのか、奥ゆかしくもささやかな胸を突き出してくる。
それを見た瞬間、理性がグラつきそうになり、慌てて夕陽はそこから目を逸らす。
「お前なぁ、妹でもそんな真似しないぞ。もし彼女じゃなかったら完全に引くわ」
「そうかな?そこを受け入れられるのが真の愛じゃないの」
「俺はまだ達観した熟年男子じゃねーから、そこは隠してくれ。つか本当に男慣れしてないの嘘だろ」
みなみは笑顔で夕陽を見上げる。
「もう…こんなに素の私を見せるの、夕陽さんだけだよ」
「今更そんなセリフで騙されるか!」
アイドルというのは、中々常人には計れない難儀な人種にしかなれない職業のようだ。
そんな人種を恋人に持つという事は、やはりある程度の許容と包容力がなくてはならない。
☆☆☆
結婚したい相手に、無言の「そろそろ結婚したい」アピール作戦。
さて現在、そこに数冊の結婚情報雑誌がある。
昨日、夕陽が深夜のコンビニで恥を忍んで購入したものだ。
現在、みなみは夕陽宅で夕飯の支度をしている。
これは絶好のチャンスなのだが…。
「………何で鍋敷きに使われてんだよ」
目の前にはホカホカと湯気を立てるラーメンの入った雪平鍋がある。
夕陽の視線はその鍋の下にあった。
「どうしたの?夕陽さん。早く食べようよ」
その結婚情報誌は熱々の鍋の下でゴワゴワに変形していた。
表紙のウエディングドレス姿の女性の写真の顔に長ネギの切れ端が乗っているのが物悲しい。
「……まぁ、そういう奴だよな。お前は。絶対悪い意味で期待を裏切る」
「なぁに?それ」
「いや、いいんだよ別に」
期待しては裏切られ、翻弄される。
果たして自分は本当にこんな彼女と結婚したいのだろうか。
笹島が言っていた言葉が重みを増す。
「どうして結婚したいのか…か」
そして夕陽は思い至る。
「現段階でお互い今すぐ結婚出来る状態ではないけど、意思を確認したかったんだろうな」
つまりは、自分はあの一等星のプロポーズの返事がまだない事を気にしていたのだ。
夕陽はみなみの方へ視線を向ける。
「夕陽さん、もしかして何か悩んでる?」
「いいや。何も」
するとみなみは何か思いついたように顔を上げた。
「あ、そういえば夕陽さん、早乙女さんが今週、会いたいから時間空けてねって」
「は?それマジな話だったのか」
「マジだよ。楽しみだよね〜?焼肉♡」
夕陽は急に現実に引き戻される。
思えば確か、去年の年末にみなみから電話でそんな話を聞いたような気がする。
何やらみなみとの交際に関して何か言いたい事があると。
相手は同じメンバーの乙女乃怜。
一体彼女は夕陽に何を話したいのだろうか。
以前、マネージャーと相対した時とは違う緊張感がある。
夕陽は暗澹とした顔でため息を吐いた。
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