第51話

「……夕陽さん、緊張し過ぎー。さっきから歯がガチガチいってんの煩いよ」


ここはとにかく値が張る事で有名な高級焼肉店だ。

下は通常の客席が設けられ、上の階は予約者や会員用に各個室になっている。

だから上は一般人が立ち入れない、いかにもVIP専用という空気感がある。


それを見ただけでも来てはいけない別世界へ足を踏み入れたような場違い感が夕陽にはあった。


ここはとにかく芸能人御用達のイメージが強く、みなみもここの店の仕出し弁当が楽屋に届くと、軽い争奪戦になると言っていた。


なので本来なら滅多な事では入れない店という事もあり、テンションが上がるはずなのだが、今回はそれどころではない。


トロピカルエースのメンバーの一人、乙女乃怜が来るのだ。


それも自分とみなみの交際について、何か話したい事があるという。


一体何を言うつもりだろうか。

まさかいきなり怖い系のお兄さん達を連れてきて、「彼女との交際は認めない」だの「すぐに別れろ」だの迫られないか。


「……ダメだ。胃が痛い。お腹痛い。よくわからないけど全部痛い」


「もう全然聞いてないし…」


みなみはため息を吐いて先に注文したメロンソーダを口にした。


怜はまだ来ていない。

先程仕事が押していると、みなみのスマホに連絡があったので、こうして二人で先に指定された個室で彼女の到着を待っているのだが、この時間程苦痛なものはない。


夕陽は深く深呼吸し、最後にもう一度自分の格好を確認する。

自分も仕事終わりなのだが、一度帰ってシャワーを浴びて、髪をスタイリング剤で整え、スーツもいつもよりマシなものに着替えてきた。


もうどこから見ても「お宅のお嬢さんを僕にください」スタイルである。


それを見たみなみは何か言いたそうな顔をしていたが、口には出さず肩を竦めただけだった。


やがて外の方が騒々しくなり、その音がこちらに近づいて来ると、みなみはパッと顔を上げた。


「あっ、そろそろ来たんじゃない?」


「マジか!」


夕陽はいざという時の強心剤を握りしめ、姿勢を正した。



「あらあらあら。ごめんなさいね。こちらからお呼びしておいて、すっかりお待たせしてしまって」


少しハスキーで高めの声が頭上から響く。

夕陽はピンっと弾かれたように立ち上がった。


「あのっ、初めまして。真鍋夕陽です」


フワリと良い香りが空間を漂う。

それは今まで夕陽が嗅いだ事のない香りで、それがまるで彼女から発せられたオーラのように感じられた。


挨拶と同時に顔を上げると、そこにはフィギュアのように完璧なプロポーションの乙女乃怜が立っていた。


見る者を惹きつける強烈な印象の美貌の彼女は、波打つように輝くグレイアッシュの髪を揺らし、こちらを見つめ返している。


……(これこそ芸能人ってヤツだろ。オーラが半端ねぇ。笹島が騒ぐのも何か納得だな)



「こちらこそ初めまして。乙女乃怜です。今日は無理を言ってお呼びたてして申し訳ありませんでした」


「あっ、いえそんな。全然大丈夫ですよ」


思ったより穏やかで常識人な対応に夕陽は内心安堵を覚えた。

てっきり怖い系のお兄さん達と共に登場し、任侠映画のようなノリになるかと思っていたのだから。


「エヘヘ〜。どう?早乙女さん。夕陽さん、カッコいいでしょ♡」


みなみは能天気に夕陽の腕に自分の腕を絡ませてくる。

夕陽は慌ててそれを払った。


「おいっ、ここは公共の場だぞ」


「いいじゃん。個室だもの」


「…今日は敢えて突っ込まないからな」


そんなやり取りを見ていた怜が笑った。


「早乙女さん?」


「ふふふ。失礼。みなみの事だからどんな社会不適合者を連れて来るのかと思ってたから、まさかこんな優良物見つけてくるとは思わなかったわ」


「しゃか……不適合…」


一体このパワーワードは何なのか。

夕陽が絶句している中、怜はさっさとメニューから色々オーダーを始めていた。


「ちょっと、早乙女さん。何なんですか。それ」


みなみが頬を膨らませる。

すると怜はその鼻を指で弾いた。


「ふにっ!」


「あんたがヤバいヤツに狙われないように、あたしがまずチェックしようとしてんのよ。あたしはこれまで数多くの変態や異常者を見て来たの。変態異常者を見分ける自信はあるわ」


「うーわー。ソレ何に対するマウントですか」



やがて見るからに高級そうな肉が運ばれ、しばし三人には肉を焼く事に専念した。



「今日はあたしの奢りなんで、真鍋さんも好きなだけ召し上がってくださいね」


そう言って、怜は夕陽の更に肉をどんどん置いていく。


「はぁ、あの…すみません。御馳走になります」


アイドルを前に、どう話していいかわからず、夕陽は照れながら肉を口に運ぶ。


高級な肉だと思うが、味も食感もよく分からず、ただふわふわ高揚した夢の世界にいるようで、まるで現実味がない。


「ちょっと、早乙女さん。夕陽さんのヒロインは私ですからね」


「別にいいじゃない。そんなの。ねぇ、真鍋さん」


怜は蠱惑的な笑みを浮かべ、やや前のめりになって鉄板の肉を突く。

すると大きく開いた胸元が強調され、ぐっと谷間が迫り出してくる。

わかってやっているのか否か、谷間の全貌が見えそうで見えない絶妙なアングルだ。

その圧倒的なボリュームが目の毒である。



…「夕陽さん、あれ言っておきますけど偽装乳ですからね」



横に座るみなみがボソっと夕陽に囁いてきた。


「ぶはっ…。お前…」


夕陽は軽くみなみを睨むと、怜の胸元から目を逸らし、黙って白米を頬張った。


「真鍋さんはおいくつなんですか?」


怜の質問に夕陽は視線を外しながら答える。


「23です」


「まぁ、あたしの1つ上なんですね」


「私とは4つ差〜」


「んなのはわかってるよ」


夕陽が軽く睨む。


「お仕事は何をされてるんですか?」


「普通のサラリーマンですよ。イベント系の会社です」


「実体のない幻の幽霊会社デス♡」


「あるわ!みなみ、横から口出しするな」


「いひゃい。いひゃいおー、ゆーひひゃん」


夕陽は横から妙な合いの手を出してくるみなみの頬を掴んだ。


「本当にみなみには勿体ないくらいまともな人だわ。これは逆にあなたの方こそ騙されたんじゃありません?」 


「ははは。そうかもしれませんね」


夕陽は力なく笑った。


「でも良かったわ。あたしはトロピカルエースを守って導かないとならないから…」


「早乙女さん?」


いつの間にか彼女の瞳には翳りが生じていた。


「今のトロピカルエースはね、二極化しているの」








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