第42話

「……もしもし夕陽さん、今何してる?」


夕方、家の女性陣から馬車馬のようにこき使われ、何とか年末恒例大掃除の激戦を戦い抜いた夕陽はコタツでぐったりしていた。

するとそんなタイミングを見計らったかのように、コタツの上にあるスマホが振動した。


どうせこの時間帯にかけるのは笹島だと思い、相手も確認せずに出ると、それはみなみからだった。


「は、みなみ?何って、朝から実家の大掃除手伝わされて、脱力しながらビール飲んでるとこ」


問われるままに正直に話すと、みなみは笑い出した。


「やっぱり〜。そうだと思った。あまりビールばかり飲んでると、知らないうちにお腹が出ちゃうんだぞ」


みなみの声を聞くのは昨日の朝以来なのだが、何故かずっと何日も離れていたかのような気がして、急に恋しさが募る。


実家という非日常に身を置いたせいで、少し緊張してしまったのだろうか。

思えば実家を出る前の状態が日常だったというのに、不思議なものだ。


実家はもう自分にとって非日常であって、日常帰る場所ではなくなったということだろう。


「うるせーよ。それよりお前は今どこなんだ?まだ仕事か?」


時刻は午後18時。 

後6時間程で今年も終わる。


「うん。そだよー。…といっても、もう仕事は切り上げて、事務所のロビーにいますよ。今日はこれからトロエーが年末歌合戦に初出演するから、他の所属タレントさんたちと一緒に見るんだ〜」


「へぇ〜。あっ、そういえばそうだったな。今更だけど歌合戦、おめでとうな。俺もこれから家族と見るよ」


トロピカルエースは今年デビューの新人だが、年末歌合戦に出演が決まった。

歌以外にも活動の場を広げ、地道に努力してきた結果だろう。


「うん。ありがとうね〜。私は出られないけど、来年は頑張るつもり」


「応援してるよ」


そういえば彼女と付き合ってから、テレビでアイドルとして活躍する彼女をまだ見ていない。

付き合い始めたのはあの9月の襲撃事件後、休養に入ってからのことだ。


彼女という人格を知った後、テレビで見ると何か違って見えたりするのだろうか。

または、あれは自分の彼女だという感覚で見る事になるのだろうか。

いくら考えても、今はまだわからなかった。


「うん。ありがと。夕陽さん。あ、そういえば朝のお宝は見てくれた?」


「お宝?……あぁ、あれか。あれならスマホのロック画面に設定しといた」


「え?うえええええええええええーっ!?」


「嘘に決まってるだろ。マジで引くな」


冗談で言ったつもりが、ガチで引かれてこちらの方がダメージが大きい。


「あ〜、良かったぁ。もしヌードとか送ってたら完璧終わってたわ」


「なっ……おまっ…」


「いや違うからね。送らないからね」



        ☆☆☆



名残惜しげに通話を終えると、入口付近に美空が立っていた。


「おっ。びっくりした。どうしたんだよ」


「ん、今の電話って、彼女?」


美空は揶揄う様子でもなく、穏やかな顔つきで問いかける。


「……まぁ。そんなとこ」


ここは下手に誤魔化す事はせず、認めた方がいいと判断した夕陽は軽く頷き、すっかり温くなったビールを傾けた。

但し相手がアイドルだという事は伏せたが。


すると美空は微笑み、向かい側に座った。


「やっぱりね。何話してたかはわからなかったけど、兄さんいい顔してたから」


「げっ…。俺、そんな締まりのない顔してたか?」


夕陽は思わず自分の顔を両手で触った。


「ははっ。違う。違う。そんなじゃなくて、何か優しい顔してた」


「そうか?でもやっぱそれって締まりない顔って事だよなぁ」


気を付けないと…と、思わず口にすると、美空は少し表情を沈ませ、ぽつりと呟く。


「兄さんはすぐに彼女が出来るから、昔から羨ましかったなぁ……」


「はぁ?何だよそれ。別にそんな事ないぞ。ずっといなかった時期もあったし」


そう言われて夕陽は自分が知る限り、美空に恋人らしき存在がいた記憶がない事に気づく。

勿論、美空が進学して岡山へ行ってからは何も把握出来てないので、全てを知っているわけではないのだが。


まぁ、女の子はそのくらい慎重でいいのではないかと思っていたので、今まであまりその方面の話題を避けてきたのだ。


だけど彼女は彼女なりに何か悩みでもあるのかもしれない。


「……どうした?何か悩んでるのか?」


少し声のトーンを落としてみる。

美空はやや気まずそうに話してくれた。


「兄さんはさぁ、学生の頃とかいきなり知らない人から告白されても大体断らず、付き合ってたよね?」


「え?何で知ってんの。お前」


「耕平くんが言ってた。何かそれ聞いて凄いなぁって思ってた」


「コクられるのが?」


「違う違う。私が言いたいのは、突然何も知らない人から好きだとか言われて、それを受け入れられる兄さんの度胸みたいなのが凄いなって思ったの」


それを聞いて夕陽は頭を抱えた。


「お前、それ俺が来る者拒まずなチャラいヤツみたいじゃないか」


「あれ、そうじゃなかったっけ?」


「……………」


夕陽はビールを一気に煽った。


「違うわっ!大体何でも受け入れるわけじゃないぞ。他に彼女がいる時は断った。だけどそうじゃない場合は、相手が必死な顔で告白してきてるのに、よく知らないからって理由だけで断るのは理由にならないと思ったんだよ」


「兄さん?」


「相手は俺が自分と合うんじゃないかって思って告白してきたなら、何か通じるものがあるのかもしれない。でも本当に合うのかは付き合ってみないとお互いわからないだろ」


美空はじっと夕陽の手元を見ている。


「……やっぱり凄いよ。私はどうしてもそんな風に考えられない」


夕陽は手を伸ばして美空の頭を撫でた。


「それでいいんだよ。別にこういうのは人それぞれだと思うから、男がとか女が…とか言いたくないけどな。でもやっぱりそこは男と女では違うんだから。自分が背負うリスクを一番に考えて行動して構わないと思うぞ」


夕陽はぼんやりと、九月のみなみの事件を思い出していた。

誰でも好意を寄せられたら受け入れる。

それがアイドルなのだと思うのだが、その好意の種類も千差万別なのだ。

自衛出来る者ならばいいが、そうでない者は避けないとならない。


「…そうかな。私、そんな兄さんを見て、自分は心が狭すぎるのかなって思ってた」


「そんな事ないぞ。それにいつかそのリスクを飛び越えても一緒になりたい相手が現れるかもしれないだろう?」


「それが今の兄さんの相手なの?」


「ぶっ……!違ーよ。俺の話じゃない」


確かにみなみとの恋愛はリスクだらけだ。

それを二人で乗り越えて結婚したいと口にした今、何とか前に進まないとならない。


「まぁ、色々話が聞けて良かったよ。参考になるのかどうかはわからないけど」


「あのなぁ」


その時、奥から母が怒った顔でお玉片手にやって来た。


「あんた達、少しは手伝ったらどうなの?お蕎麦伸びちゃうじゃない。お父さんは全く役に立たないし…」


そう言ってリビングを見ると、父は年忘れ芸能人ドッキリ番組をビール片手に見ていた。

丸い背中が哀愁を誘う。


テレビには後島エナの父親が、露天風呂のロケだと騙され、風呂の底が抜け落ち、客たちの前で全裸で落下していく様子が映っていた。


「年末の父親って、肩身が狭いっていうか切ないよな…」


夕陽は大掃除の疲れが残る身体に気合いを入れて立ち上がった。













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