第67話

トロピカルエースは最高のステージを作り上げた。

エナはステージから飛び降り、アリーナ中を走り回り、怜と陽菜は客席ギリギリまで詰め寄って歌った。


それを警備員たちが必死の形相で、今にも雪崩れ込みそうになる観客を押し留めている。


その中で、一瞬みなみと夕陽の視線が交わる。

それは本当に一瞬の事だが、彼女は夕陽へ向けて手を振った。

それが彼女との特別な繋がりを感じて、夕陽の胸を焦がした。


最後にさらさがソロで歌手活動をしていた時のデビュー曲を皆で歌ってライブは終了した。


夢のような時間だった。

彼女たちの成長を感じる素晴らしいライブになった。



「いやぁ、超良かったよなぁ…。俺、足が震えてるよ」


笹島はまた涙を浮かべて感極まっている。


「そうだな。歌も上手くなってた」


帰り支度を始める観客たちを見ながら、自分たちも出る準備をしていると、夕陽のスマホが震えた。


「おっ、笹島。この後トロピカルエースの楽屋に少しだけ挨拶に行けるみたいだが、どうするよ?」


スマホにはみなみから、是非楽屋へ来て欲しいとメッセージが入っていた。

搬入通路でマネージャーの内藤が、待っているそうだ。


笹島は唇をあんぐりと開けて、夕陽の顔を凝視する。


「え、今何て言った?」


「だから、トロピカル………」


「行くに決まってるだろうが!同志よ」


笹島は歓喜の表情で夕陽の手を握ってきた。

それを夕陽は即座に振り払う。


「いつ同志になったよ。そのかわり煩く騒ぐなよ」


「わかってるよ。いやぁ、まさかリアル怜サマに逢えるなんて、そんな幸運あんのかよ。もう俺、一生彼女出来なくてもいい。結婚も出来なくていいよ!」


「おいおい、そんな重いモンと引き換えにすんなよ」


夕陽たちは帰る観客たちとは別方向の通路へ向かって歩き出す。


やがて途中で、スタッフIDを首から下げたスーツ姿の男性が二人を見て、近寄って来た。


「真鍋くんだよね?お久しぶりです。僕の事、覚えているかな」


「ええ、勿論。内藤さんですよね。お久しぶりです」


彼はトロピカルエースのマネージャーの内藤だ。

夕陽とは去年、みなみが街中で襲われた件で一度会っていた。


夕陽は彼に挨拶すると、笹島にも事情を話す。


「あ、どもです。夕陽の大親友の笹島耕平です。怜サマ推しの一般会社員っす!」


「大親友って…、勝手にランクアップさせるなよ。腐れ縁でいいだろ」


「あははは。面白いね。キミ達。さて、まだ終わったばかりで、これから機材の搬出作業に入るんだ。だからちょっとバタバタしてるんだけど、気を付けてついて来てくれるかな?」


「はい」 


二人は同時に頷く。

そして内藤から中へ入る為の仮のIDを渡され、それを首に下げた。


仮のものなので顔写真は入っていないが、それを下げただけで、このツアーの関係者になったかのような妙な高揚感が湧く。


笹島もそう思ったのか、何度も嬉しそうに見つめていた。


そして早足でスイスイと人混みをすり抜けていく内藤の後を必死に追いかけ、広い通路や狭い通路を右へ左へ進んでいく。


その間、何人もの様々な荷物を抱えたスタッフ達とすれ違った。


「すげぇ、裏方ってこんな風になってるんだ」


笹島は物珍しげに、あたりをキョロキョロして忙しない。


「おい、あまりキョロキョロするなよ。ぶつかったら大変だぞ」


「わかってるよ。でもこんな機会滅多にないんだぜ。心に焼き付けておきたいんだよ」


「……相変わらず大袈裟なヤツ」


「だけどね、真鍋くん。一つのライブを成功させる為にこれだけの人数がトロピカルエースを支えているんだ。その意味を今日帰ったら、少しの時間でもいいから考えて欲しい」



「内藤さん……」



内藤の言葉に夕陽は目を見張った。

確かにこの裏側の世界を知ると、ただの観客として参加してきた時とは違った目線で見てしまうだろう。


華やかなステージの裏で、こんな汗まみれになって働くスタッフがいる。

皆、このステージを成功させたくて集った者たちだ。

そんな力に支えられ、みなみたちも毎日レッスンとリハーサルを繰り返して来た。


夕陽はつくづく思う。

みなみの立っている世界の凄さを。



「あっ、夕陽さんっ!」


その時、向こうの広い通路からまだ衣装を着たままのみなみが駆け寄って来た。


「みなみ」


「みなみん!」


みなみはまだ汗の引かない額にタオルを巻きつけた状態で走ってきた。


「本当に来てくれたんだぁ。嬉しい。あ、内藤さん。ありがとうございます」


「いやいや、大した事じゃないよ」


内藤は柔らかく笑った。


「本当に大丈夫なのか?」


「大丈夫だよ。あ、皆にも紹介するね」


そんな恋人たちの語らう様子を見て、笹島が気まずそうに一歩引いた。


「あーあー、俺、お邪魔なようだね」


「それなら先に彼女達の楽屋へ行ってませんか?まだ他と挨拶していてメンバーは揃ってませんが、待っていたら何人か来ると思いますよ」


内藤の申し出に笹島は頷いた。


「あー、そうさせてもらいます。って事で夕陽、みなみん、ごゆっくり〜」


「笹島……」


笹島は内藤に連れられ、奥の楽屋へ消えていく。



        ☆☆☆



「ではここで待っていてください。僕はちょっと他のメンバーの都合を確認してきますから」


「あ、はーい」


中にはメイクさんとチーフマネージャーがいて、笹島は緊張しながら軽く頭を下げた。


その頃、さらさは今回のツアーで辞める事になった音響監督の伊藤唯史を探して、通路を彷徨いていた。


さらさらはトロピカルエースとして活動する前に一度だけ単独ライブをした事があり、伊藤はそんな何も知らないさらさに色々教えてくれた恩人だ。


その伊藤は最後という事もあり、あちこちで声がかかる度に移動しているようで中々出会う事が出来ない。


「あ、森さんっ」


その時、スタッフや関係者たちの間を縫うようにして陽菜が駆け寄ってきた。

彼女も衣装のままだ。


「内藤さんに会った?」


「いいえ、まだだけど。どうかしたの」


「楽屋にみなみの彼氏が来てるっていうから、誰か一人でも行って欲しいって。私はまだもう少しかかりそうなの」


そう言う陽菜の背後には音楽雑誌の記者がいて、こちらに気付いたのか軽く礼をしている。

さらさも礼を返したが、怪訝な顔は変わらない。



「え、みなみの彼氏?本当に来たの?」



「うん。出来れば写真撮ってサインもしてあげて欲しいの。それだけしてもらえれば後は好きにしていいって」


「もう仕方ないわね。こっちも伊藤さん探してるのに…」



しかし、みなみが選んだ男がどんな相手なのか興味がないわけではない。

顔くらいは見ておくべきかと、さらさは頷いた。


「いいわ。楽屋に行けばいいのね」


「うん。助かる。私もこれ終わったらすぐに行くから」


「了解」


踵を返し、さらさは楽屋へ戻る事にした。



        

























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