第66話
ステージから続く広い通路は戦場だった。
総勢50人程のスタッフが常時、右往左往している。
先に集合時間に到着したのは森さらさだった。
彼女は愛知でラジオの収録を終えてからの楽屋入りだ。
集合時間は15時。
さらさは楽屋前のケータリングの女の子から冷たいおしぼりと水のペットボトルを受け取ると、ステージへ向かった。
ステージではリハーサルの慌ただしい空気の中、PAミキサーが最終的な音の確認をしている真っ最中だった。
そのステージ袖には着替え用の暗幕が張られた小さなスペースがあって、サポートバンドのメンバー達が車座になり、音を合わせている。
その中に佐野隼汰の姿もあった。
さらさはそれを見て、やや表情を曇らせる。
別に彼と自分との間に何かあるわけではない。
ただ彼が最近乙女乃怜の方を気にしているのが少し気になっていた。
しかしあまり干渉するのも良くない。
怜は自分に対してあまり良い感情を持っていない。
少し距離を取ろうとしている節があるからだ。
そんな事を考えながら楽屋に戻ると、もう他のメンバー等が揃っていた。
「あ、森さん。いつも早いですね〜」
永瀬みなみは早速テーブルの上にお菓子やら携帯ゲーム機等を出して、自宅のような雰囲気にしている。
「そうね。毎回出来るだけ悔いの残らないようやり切るがモットーだから」
「頑張ろうね〜。絶対成功させよ」
エナも今日は気合が入ってるようだ。
「勿論。あ、マネージャーが後でゲストルームに挨拶しなさいって言ってたよ」
みなみが思い出したように手を振った。
ゲストルームには毎回各著名な芸能人や文化人、マスコミ、雑誌関係者達が来ていたが、今日のファイナルは大物芸能人が揃っているらしい。
「今日は凄いらしいわよ。栗原柚菜も観に来てるって」
怜はメイクさんに髪を切ってもらいながら、嬉しそうに言った。
栗原柚菜は怜の憧れの女優でもあるのだ。
出産後、わりと間を空けずに復帰した彼女は以前と同様、ドラマや映画に大活躍している。
「うっそ、マジ?後でサインもらえないかな」
「みーちゃん、今日はウチらが主役なんよ?」
「あはは。そうでした。さて、私も着替えようかな〜」
みなみが後ろを見ると、いつの間にか陽菜はもうメイクを始めていた。
その顔はもう真剣そのもので、雑談に加わる事なく、完全に本気モードへ気持ちを切り替えているようだ。
そうだ。
今日は長かったツアーのファイナル公演。
心に引っかかる様々な感情は今は忘れて、集中しなくてはならない。
……頑張るよ。だから見ていて。夕陽さん。
いよいよ音と光に包まれた、夢の2時間30分が始まる。
☆☆☆
「いやぁ、今回は最前列だぜ。まさかこんな間近で怜サマの御尊顔が拝める日が来るとは…」
無事会場入りを果たした夕陽と笹島は、ステージに登場するトロピカルエースのメンバー達を今か、今かと待ち構えている。
「少しは落ち着けよ。お前は何公演か行ってるんだろ?」
「あぁ、埼玉と千葉、神奈川、大阪、愛知、後…群馬も参戦したぞ。どれも良かったな〜。特に千葉公演の時、ヒナのんが高熱出してて、それでも最後までやり切ったのは胸熱だった」
笹島は有休を取って、結構な数のライブに参戦していたようだ。
このファイナル一本に絞った夕陽としては、そのバイタリティは尊敬に値する。
「しかし、去年俺たちが参戦した初ライブから考えると、トロエーもこんな大きな箱、埋まるくらい成長したんだなぁ」
「そうだな。今日は当日券多少あったらしいが、即ソールドアウトしたって」
「トロエーが世間に認知されるようになるとファンとしては嬉しいけど、どこか淋しい気持ちになるよな」
「そういうもんか?」
笹島が軽く鼻を啜ったところで会場内にトロピカルエースのデビュー曲のイントロが流れ出す。
「おっ、いよいよだな」
会場が緊張に包まれる。
やがてスモークの中から円筒状のステージが競り上がり、5人のシルエットが浮かび上がった。
それがファイナル公演の始まりだった。
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