第227話

「あのさ、藍田晴之って俳優いるよな。あいつ何か僕の事、狙ってね?」



「はぁっ?何ですかその怖い発想は」



仕事が終わった後、晴之の助言通りなるべく会う時間を増やす作戦に出た陽菜は、早速翔に連絡を入れた。



最初、翔は陽菜の来訪を渋っていたが、そこは強引に強行してやった。



現在キッチンからは、陽菜の得意料理の一つであるグラタンが香ばしい匂いを漂わせている。



男の心を掴むには胃袋を掴め!

陽菜は現在、翔の心を掴むべくコツコツと小さな努力をしていた。



「いや、今日藍田が楽屋まで来たんだよ。で、僕に今彼女がいるかどうかって聞いてきたんで、何でこんなヤツにって無視してたけど、しつこく聞いてくんだよ。もう根負けして、いないって言ったら「よっしゃー!」って、拳突き上げて喜んでさ。もう恐怖でしかなかったわ」



「えー……」



「何がよっしゃーだよ。何か身の危険を感じたわ」



翔は思い出しただけで鳥肌が立ったのか、しきりに自分の腕を摩っている。




「あはは…は。あの、悪気はないと思うんで、出来ればそっとしてあげてください」



「あいつ、お前の知り合い?」



「えー、まぁ。トモダチですけど」



「ふーん。トモダチねぇ」



翔はリビングの中央にあるシンセサイザーでいくつか和音を作ってはメモを取りながら何かの作業をしている。



「それより何をやってるんですか?ここでシンセ弾くの初めて見ましたけど」



「「ユメカ」のデビュー曲作ってんの」



翔は欠伸をしながら、そう言って手書きの楽譜の束を持ち上げてみせた。



「えー!?「ユメカ」デビューするんですか!」



「それ、結構前に本人もSNSで発表してたろ。お前そういうところ疎いよな」



翔はやや呆れたように笑った。


「ユメカ」とは動画投稿サイト出身の女性タレントだ。


可愛らしいルックスに、マシンガンのように途切れないトークが受けてバラエティー番組ではトロエーに迫る人気ぶりだと言われている。



「えー、でもユメカが歌うのかぁ。しかも支倉翔の曲で。また人気出ちゃうんだろうな。いいなぁ。蓮はもうユメカに会った?」



すると翔は何故かうんざりした顔をした。



「あぁ。くそウザかった。打ち合わせの段階からずっと来て、終わればどこか遊びに連れてけだの、買い物に付き合えだの、ご飯食べに行きたいだの、ちょいキレかかったけど、事務所の方からぶっ込まれた仕事だから降りるわけにいかねーし、もう最悪なクライアントだわ」



「あぅあぅっ、やっぱり水面下でもう悪い虫がついてた!」



「はぁ?何だよそれ。とにかくそれで疲れてんだよ。自分の曲もトラブってんのに…」



「まだ何かあるんですか?」




グラタンはそろそろいい感じに仕上がってきた。

陽菜は可愛いぬいぐるみのようなペンギンのミトンを手に嵌めて、オーブンを開ける準備

に入る。



「……まぁ、話せる範囲のヤツだと、今回の僕の新曲はコーラスを何層も重ねる予定で、男女十六人のコーラス発注をしてたんだけど、そん中の二、三人が僕の基準のレベルに達して無かったんだ。だからその三人を帰したら、何故か次から全員ボイコット。誰も来なかったんだよ」



「うわっ、そんな事あるんですか?」



翔は疲れたようにため息を吐く。



「まぁ、滅多にないとは思うけど、正直焦ったわ。今から新たに発注するにも納期や来られそうなヤツのスケジュールを考えると、もう無理ゲー」



「あらら…でもどうしたんですか?」



「仕方ないから全部自分でやった。十六人分のバッキングボイスを自分でサンプリングして地道に重ねていったよ。で、今日は全く寝てない♡だからちょっとハイな気分だ」



「それなのに、家に上げてくれたんですか?私、やっぱり帰った方が…」



やけに疲れた顔をしていたはずだ。

陽菜は急に申し訳なくなり、エプロンを外した。



「いや、ここに居てくれ」



しかし翔はそんな陽菜を制した。

陽菜は戸惑いの表情でエプロンを握りしめる。

何故か心臓の鼓動が激しく脈打ち、居心地が悪いわけではないが妙に落ち着かない。




「えっ、でも蓮、疲れてるんじゃないの?」




翔はゆっくりキッチンへ移動してきた。

急に二人きりの空間を意識した陽菜は少し身構える。



「いいよ。お前なら別に構わない」



翔はじっとこちらを見つめてくる。



(あっ、これって晴之が言っていた「いい雰囲気」ってやつじゃない?)



陽菜の脳裏に晴之の言葉が浮かんできた。

これはいよいよ彼に告白するチャンスかもしれない。



「あっ…あのね、蓮!私……」



そこまで言った瞬間だった。

ちょうどグラタンが焼き上がったらしく、オーブンがけたたましくメロディーを奏でだした。



「おっ、焼けたみたいだぜ♡」



それを聞いて、翔は先程の真剣な顔を崩し、嬉しそうにオーブンへ駆け寄る。



「……うん。そだね。上手く焼けてるかな」



「おっ、キノコとサーモンのグラタンじゃん。夏なのにグラタンかよって思ったけど、お前結構センスあるよな」



翔が陽菜に代わってオーブンからグラタンを出してくれる。

熱々のグラタンからはチーズとパン粉の焦げたいい香りがした。


その立ち昇る湯気に思わず空腹が刺激される。

告白するチャンスを逃した陽菜は少し残念に思いながらも、子供のようにグラタンを待つ翔に取り皿を渡した。



「なぁ、次の休みはどっか行くか?」



「いいの?忙しくない?」



少し落胆した陽菜に何か感じたのか、翔の意外な提案に陽菜はパッと顔を上げた。



「お前の方が売れっ子なんだから僕よりも忙しいクセに。いつ行くかはそっちに合わせる。行きたい場所も考えておけ。うわっ、美味っ。お前、本当に料理上手いな」



翔は幸せそうにグラタンを食べている。

陽菜はそれより、翔とのお出かけで頭が一杯だった。




















思ったより陽菜編が長くなってきました。

一応、衝撃的なクライマックスが待っている二人なのですが、まずはそこまで気持ちを高めないと繋がらないので、もう少し続きます。



しかし、初期から比べるとみなみはまともな女の子になりまたね〜。

お礼に一万円札突きつけてた無礼な子がよくぞ……。



















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