第23話「永瀬みなみside*キミにさよならを告げる準備*」
「二番目なんて嫌。あたしは巳波の一番以外じゃ意味ないんだよ……」
「やめてっ、詩織!」
みなみの制止も聞かず、詩織は涙に濡れた瞳を伏せ、そっと制服の袖を捲り細い手首にカッターの刃を這わせる。
「やだっ、やだよ。詩織っ、もうやめて!」
昼休みの出来事だった。
まだ教室に残っていた数人の生徒たちも、そのただならぬ様子に異常性を感じ、悲鳴をあげる者や、教師を呼びつけに走りだす者等で騒然としていた。
顔を蒼白にして取り乱すみなみを見て詩織は満足そうに微笑んだ。
「嬉しい。まだあたしの為に泣いてくれるんだね。巳波…」
「詩織?」
「ずっとこのままが良かった…。このまま二人だけの世界が続けば良かった。なのにこの世界に男が入り込んであなたを連れて行こうとする。許せないよね?いつだってあいつらは強引で汚くて、大切なものを何も考えず奪っていくのよっ!」
血を吐くように詩織が叫ぶ。
それは魂からの叫びのように痛々しい。
「あいつら男があたしに何をしたか巳波知ってる?」
詩織の瞳から再び涙が溢れては溢れる。
「詩織、ダメ。ダメだよ。思い出しちゃ…」
しかし詩織は続ける。
「小5の学校帰りだった。何も知らずに歩いていたあたしをあいつは道を聞く嘘を吐いて脇道へ連れ出した」
「詩織っ!」
「悔しかった。いくら力を込めて殴ってもどうする事も出来ない。ただ暴力的に奪われていく絶望感。あいつの臭くて酸っぱいような汗の臭い、息の臭いに気が狂いそうになった。いえ、もう狂ってるね。あたし…」
手のカッターナイフが震える。
「だからあたしは巳波にあんな思いをして欲しくなかった!だから…」
「違うよ。羽柴くんはそんな人じゃないよ」
詩織は悲しそうに首を振る。
「違わないよ。巳波。確かに羽柴くんはいい人かもしれない。勉強も出来るし、足も早い……カッコいいもんね。だけど羽柴くんも男なんだよ?あの臭くて汚らわしい。そんな男に巳波を汚されたくない」
「詩織っ」
詩織とみなみが初めて会ったのは中学生の頃だった。
学校を休みがちで、入学したてだというのにもう不登校になっていた詩織を当時学級委員長だったみなみが面倒を見た事がきっかけで二人は急速に仲が深まり親友になった。
詩織は心に傷を負っていた。
小学生の時、学校の周りを彷徨いていた変質者に暴行されたのだ。
それ以降詩織はずっと家に引きこもり、親と精神科のカウンセラーにしか会話をしなくなり、病んでいった。
そんな暗い世界にみなみは光を与えたのだという。
だから詩織はそんな大切なみなみを守りたかった。
何をしてでも守りたかった。
やがて二人は中学を卒業し、同じ高校を受けた。
最初は楽しかった。
中学の時のように二人きりの世界は守られていたのだから。
だけど高校生になるとみなみはとても綺麗になった。
中学の時に始めた陸上部をやめたせいで、日に焼けた肌も白くなり、隠されていた美貌が開花したのだろう。
勿論当時から顔立ちの整っていた詩織も更に美しくなった。
二人で並んでいると迫力の美人だと校内でも噂されていた。
そんな時、みなみがバスケ部の王子様的存在の羽柴唯人に告白された。
周囲の人間はそれを当然の事と認識し、まだみなみが告白を受けてない内に公認カップルとして囃し立てた。
それを知った詩織は絶望した。
二人の世界に土足で男が入ろうとしている。
異物は排除しなくてはならない。
だけどみなみは男を受け入れようとしているように感じた。
もう自分ではどうする事も出来ない。
そんな詩織に残された手段はもう一つしかない。
詩織の瞳から涙が溢れた。
「バイバイ。巳波。あたしがこの世界から消えてあげる」
そして一気に刃を手首の皮膚の上に滑らせた。
あちこちで悲鳴が響き渡る。
みなみは呆然とした顔で、その溢れる血潮を眺めていた。
☆☆☆
「はぁ。はぁ。はぁ……またこの夢」
時計を見るとまだ朝4時だった。
最近よくこの夢を見る。
何か予感めいたものを感じたみなみは、のそりとベッドから起き出し、そっと窓の向こうを見た。
「ひっ……」
一瞬で気怠さが吹き飛んだ。
部屋の真下に小さな人影がいた。
それはこちらに気付くと嬉しそうに手を振り出すのがわかった。
「……そうだよね。私はまだあなたの籠の中だった」
みなみは俯いて唇をそっと噛む。
「…………別れたくないよ。夕陽さん」
隣の部屋ではまだ夕陽は眠っているのだろう。
彼の側でならこの悪夢も見なくなるのだろうか。
みなみは服を着替えると、部屋を出てエントランスへ向かった。
過去と向き合う為に。
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