第90話
「…………おい、これは一体何なんだ?」
夕陽はテーブルの上に置かれた元食材らしき残骸を空虚な瞳で見つめ、製作者にその意図を求めた。
「何って、シンプルに野菜炒めだけど?」
新婚さんを思わせる、ゆめかわいいエプロン姿のみなみは、可愛らしく小首を傾げる。
しかし目の前に出された料理は、そんな彼女の可愛らしさを大きく裏切る外見をしていた。
油でギトギトの野菜らしき物体が、皿の上でグロテスクな光沢を放ち、大凡食べ物とは思えない不気味な存在感を放っている。
「…………野菜炒めって、こんなグロい外見してたっけ?」
「グロいなんて失礼だな。これはね〜、味がしっかり入るように、ワザと手で野菜を引きちぎって丁寧に炒めたの。味は日本人向けに醤油味にしてみたんだけど、どうかな?」
「どうかなって……それ、単に包丁使うのが面倒だっただけだろ。味付けもどうせ醤油のみなんだろ?醤油使っときゃ大体美味い論は幻想だからな。それに日本人向けって何だよ。いつもどの国向けに作ってるんだよ」
「うーわー、何その萎える長台詞!全部当たってるだけにムカつくわ」
夕陽は皿の料理と呼ぶには失礼な物体を睥睨し、ため息を吐いた。
…と、そこにほかほかと美味しそうな湯気を立てるお盆を持ったさらさが姿を現した。
「二人とも、お待たせ。ご飯が出来たわよ」
「おおっ、これは凄い!」
「山小屋風山菜おこわと、山小屋風筑前煮、山小屋風豚汁よ」
「森さん、枕詞に「山小屋風」付けてシャレオツ感出しても、これ普通に山菜ご飯と筑前煮と豚汁じゃん…」
「こんなグロい飯作るお前が言うな!」
目の前の完璧な和食を僻むように見たみなみは、可愛くない事を言って唇を尖らせる。
「じゃあ、料理対決の勝者は……」
「あ、そうそう。俺も向こうに釜があったからちょっと借りてみたんだ」
みなみが高らかに料理対決の勝敗を夕陽に委ねようとしたところで、夕陽が立ち上がる。
「夕陽さん?」
すると夕陽は向こうのテラスの先にある釜から何かを持って戻ってきた。
「いやぁ、雨が降ってたから大丈夫かなと思ったけど、ちゃんと焼けたな」
そう言って、みなみとさらさの前に出されたのはトロトロのチーズがたっぷり乗ったピザだった。
「山小屋風ピザの完成だ」
「わぁ、さすが王子ね。これはもう勝者は王子で決まりね。じゃあみなみ、後片付けはお願いね♡」
「ぐぬぬぬっ、こんな大どんでん返しがあるなんて…」
「いや、俺の介入ある無しに関わらずお前は負けだろうよ」
何故か悔しがるみなみに夕陽は白い目を向けた。
☆☆☆
「ねぇ、みなみ。私って怖い先輩だと思ってるでしょ?」
三人で食事をしながら、さらさはみなみへそんな話題を振ってきた。
ちなみにみなみが作った野菜炒めらしき残骸は、夕陽が味を整え、水溶き片栗粉を流して中華丼へと神リメイクされた。
ピザを頬張るみなみはギクっとしたように視線を泳がせる。
「……うっ。まぁ…ハイ。ちょっとだけ」
「正直ね。私もね、この世界に入った時は先輩たちに厳しくされた経験があるからっていうのもあるけれど、わざと嫌われるように仕向けていたの」
「えっ、それはどういう事ですか?」
みなみは目を丸くした。
軽く息を吸い込み、さらさはゆっくり語りだす。
「私ね、本当はすぐにトロピカルエースを辞めるつもりだったの」
「嘘っ…」
「みなみ……」
夕陽は少し離れた位置から二人の会話を見守る。
「別に驚く事でもないわ。私は日羽くんの推薦枠で入ったんだけど、最初はアイドルなんてやる気はなかったの。確かに最近は歌の仕事もやっていたけど、私はやっぱりお芝居メインでやっていくつもりだったから」
「そうだったんですね」
「ええ。でも友達の日羽くんが誰も歌が歌える芸能人の知り合いがいなくて、困ってるっていうから受けたの。日羽くん、最初はエナを推薦したかったみたいなんだけど、エナは自分の力でオーディションを勝ち上がりたいって断ったの」
「えーっ。そんな事があったんですか。じゃあ日羽先生とエナってやっぱり前から知り合いだったんですか?」
みなみは驚きを隠せずにいる。
「私も詳しくは知らないけど、そうみたいね。あの二人には何か特別なものを感じるわ。でも別に付き合ってるわけではないようね」
夕陽は先日「on time」の秋海棠一十に会った事を思い出していた。
その一十と組んでいるボーカルの日羽渉には会った事はないが、彼はまだ十代の少年だ。
エナとどんな繋がりがあるのだろうか。
「話が逸れたわね。私は日羽くんに頼まれてトロピカルエースに入ったの。一応来たオファーは絶対一度は受けるってスタンスだからね。この業界、一度断ってしまうと後々の仕事に響くのよ」
さらさは困ったような笑みを浮かべた。
きっとこれまで、彼女は自分のやりたい事とは別方向の仕事も受けて来たのだろう。
「まぁ、日羽くんの頼みなら何でも受けるつもりだったけど。彼は友達だし弟分のような子だったから。それにトロピカルエースがある程度知名度が出てきたら抜けていいって言われていたの。だから私も申し訳ないけど、そのつもりでやってきてたわ」
「森さん……」
知らなかった。
さらさがそんな気持ちで今まで活動していたとは。
「だからね、あまり他のメンバーと仲良くなったらいけないなって思って接してきてたの。辞めた時、あぁ、あの煩かった先輩ようやく辞めたよ…って思われた方が楽じゃない?」
「そんなっ…」
「でもね。最近はちょっと変わってきたの。もっと貴方たちと一緒に色々な事をしてみたいって」
さらさは笑った。
「私、辞めないわよ。もっとトロピカルエースを大きくしたいの。だからもう貴方達と距離を置くのは止めにするわ」
その笑顔を見て、夕陽はとても綺麗だと思った。
これからこのグループはもっと変わっていくだろう。
「あはははっ。そっか。そっか。じゃあ私、洗い物行くね」
みなみは涙を誤魔化すようにキッチンへ走って行った。
「おい、みなみ。肝心の洗う食器を置いたままだぞ」
夕陽が食器を持っていこうとすると、さらさがその腕を取って制止した。
「森さん?」
さらさは黙って首を振る。
そこで夕陽は理解する。
きっとキッチンではみなみが声を押し殺して泣いていると。
さらさは囁くように言う。
「さて、みなみに伝えるべき事は伝えたし。今度は貴方ね。ふふっ。今夜は寝かせないわよ。王子♡全力で落としてみせるから」
「は?何で今のいい流れぶった斬るんですか」
「だって今日を逃すともう、こうして会う機会ないじゃない。その前にやれるだけやってみたいの」
「じ…冗談ですよね?」
「さぁ、どうでしょう」
夕陽は背筋を凍りつかせた。
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