第89話
(………これは気まずいな)
二人のアイドルを差し向かいに座る夕陽は、居心地の悪さに出されたコーヒーを飲み干す。
しかし居心地が悪いのは空気だけで、ログハウス風の山小屋はとても広く、快適だった。
雨の再会後、さらさは二人をリビングへと案内した。
このログハウスは持ち主の手作りだそうで、数人の友人たちと一から組み上げたという力作だ。
外はまだ雨が降り続いている。
「テ…テレビもあるんですね」
夕陽は何か話題を探そうと、他愛もない雑談を始めたが、何となくさらさの横顔は冷たかった。
「ここ、自家発電だから」
「あー、なるほど」
「…………」
「…………」
(頼む!何とかしてくれ、この空気)
何を話しても会話が途切れてしまう猛烈な気まずさに夕陽は助けを求めるように横目でみなみを見た。
視線に気付いたみなみは、仕方ないなという顔で軽く息を吐いた。
「森さん、夕陽さんが謝りたいって」
「何を?別に何も謝られるような事はないわよ」
(こ…怖ーよ、森さん)
さらさはみなみの言葉に全く心当たりがないような顔でコーヒーをひと口飲んだ。
「それよりあの時はごめんなさい。痛かったでしょ。混乱していてつい貴方に当たってしまったの。その……反省してる」
「ううん。それは大丈夫です。元はといえば私が嘘つかずにちゃんと夕陽さんの事、言えば良かったんですから」
「……そうね。だったら私は王子に興味を持たなかったでしょうね」
さらさの視線がようやく夕陽に向けられる。
夕陽の色素の薄い瞳が揺れる。
「森さん…。本当にスミマセンでした。俺も事前にみなみの事を言うべきでした」
夕陽は神妙に頭を下げる。
それを見たみなみも一緒に頭を下げた。
「ふふふ。十分怖がった?」
そこでようやく、さらさの口元に笑みが浮かんだ。
「え、森さん?」
「別に私、怒ってなんかないわよ。ただ自制出来ない自分に嫌気が差しただけ。だから一人きりになって考えたかったのよ」
さらさは少し恥ずかしそうに本音を口にした。
「あ、それからね、私は貴方達が付き合ってるって知ってからも、これからも変わらず王子を好きでいるつもりだから♡」
「はっ?」
「えーっ、何ですかそれ。自制するんじゃないんですか?」
何かとんでもない発言を聞いたような気がすると、二人は思わず立ち上がってさらさを見た。
さらさは優雅にコーヒーを口にし、余裕たっぷりに微笑んだ。
「勿論自制はするわよ。さすがにもう表立ってアプローチはかけないつもりよ。ただ、心の中だけはいいじゃない。てゆうか、それくらい許しなさいよね?」
「こ…心の中っすか?」
「そう♡心の中は自由だもの。色々しましょ」
そう言ってさらさは軽く夕陽へ向けてウインクした。
「ちょっと待って下さい、森さん。夕陽さんは私のなんですから。もう手を引いてください」
みなみが憤然とさらさに食いかかる。
どうやら心の中の王子様も許せないらしい。
するとさらさは鼻を鳴らした。
「王子にはちょっとだけ年上で、グイグイ引っ張ってくれるお姉さんタイプの彼女の方が合うと思うのよね」
「なっ……そんな事ありません!夕陽さんはちょっとだけだらしなくて、ワガママし放題な生意気タイプの彼女の方が合います!」
「みなみ、自覚あったのかよ…」
二人は真っ向から睨み合う。
「あの。二人とも…そこまでに…」
たまらず口を挟んだ夕陽にみなみの矛先が夕陽へ向かう。
「じゃあ、夕陽さん。私と森さん。どっちを選ぶの?はっきりしてよ」
「はぁ?何言ってんだよ。そんなのお前に決まってんだろう。何でそこでそんな当たり前な事聞く必要があるんだ?」
するとみなみがかなりムカつくドヤ顔でさらさを見た。
しかしさらさはまだ余裕の表情だ。
「……ふっ。そこで私を選ぶようじゃ、私の王子とは言えないわ。だから落としがいがあるのよ」
「落としがい?夕陽さんを乙女ゲーの攻略キャラにしないでくださいよ。夕陽さんは絶対落とせない攻略対象の弟とか、学園で主人公に朝だけ話しかける友人とか…そんなモブキャラタイプなんですからね!」
「酷っ!」
「甘いわね、みなみ。そういうキャラこそ、ジワるのよ。後からファンディスクで攻略追加されたりするのよ」
「詳しいですね、森さん…」
夕陽の冷ややかな視線に、さらさは一瞬言葉に詰まる。
「と…とにかく!私の恋はまだ死んでないの。これからなの。そうね……流石に二人が結婚したら完璧に諦める…かな」
「森さん…」
これは暗にさっさと結婚しろとでも言っているのだろうか。
「さて、貴方たち今日は泊まっていくんでしょ?外は雨だし、もうじきに陽が落ちるわ」
さらさがテーブルに置いていたエプロンを手に立ち上がる。
「いいんですか?」
「私も明日帰るつもりだったから、朝一緒に下山しましょ。さぁ、ご飯作るわ」
「あ。手伝いますね。そうだ、せっかくなら料理対決しましょうよ。審査員は夕陽さんで」
みなみも立ち上がり、腕まくりをする。
「不安でしかない…」
夕陽は盛大なため息を吐いた。
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