第159話

「お母さんもね、何も意地悪で言ってるんじゃないの。わかるでしょ?」



母はそう言うと、惣菜の詰まった保存容器を保冷剤と共に紙袋へ入れて夕陽へと手渡した?



「…だとしても、母さんに言われたから別れるって言うのは違うと思う。大体さぁ、最初に会わせた時は結構馴染んでたじゃないか。あいつの事、気に入ってたんじゃないの?」



ここで簡単に折れるわけにはいかないと、夕陽も反論を重ねる。

しかし母の意見は中々変わらない。




「あの時はまだあんた達も付き合いたてって感じだったでしょ。だから相手は芸能人なんだしすぐに別れるって思ってたからよ。でもまだ付き合ってるって言うじゃない。そこまで付き合ってたら一度は考えるわよね?結婚を」



「……別に今はそんな事考えてなかったよ。そんな話も出てなかったし」



すると母が大きく息を吐いた。



「それじゃあ、今からしっかり考えなさい。あの子はアイドルなんだから。普通の子とは違うの。結婚するって事はあの子から「特別」を奪ってしまうという事と思いなさい」



「うっ……」



母からの痛恨の一撃に夕陽はそれ以上反論する事を諦め、押し付けられた紙袋を持ってリビングへと戻る。


リビングには相変わらず父がいて、今は所在なさげに植木を眺めていた。

父は夕陽が姿を現すのを視界に収めると、ゆるりとした動作で立ち上がる。



「少し父さんとも話そうか?」



「……わかった」



夕陽は悄然とした顔で頷くと、二階へ上がった。

奥にある父の私室へ入る。


ここへ足を踏み入れるのは久しぶりだ。

様々な父の趣味の物で溢れ返るこの部屋は、夕陽にとって宝の山に思えた。


今はそれらも半分に片付けられ、二つの書棚と一つのガラスケース、机とテーブル、ソファがあるのみだ。


ガラスケースには動物や人形を模した貯金箱や城や飛行機、列車等の模型が飾られている。


父は机の縁にもたれ掛かると、労わるような目で息子を見た。



「その顔だと母さんに散々言われたな?」



「…正解。つか聞こえてなかった?」



「さぁな。父さんは新聞を読んでたから」



父は珍しく戯けた様子で肩を竦めた。

そこでようやく夕陽の表情が崩れた。



「そうかよ…。あのさ、やっぱり父さんも同じ意見なの?」



真鍋家は母がボスである。

だから当然父も意見を同じくすると夕陽は内心そう考えていた。


しかし父は穏やかに首を振る。



「忘れたのか?父さんはこれまで一度だってお前の選択を反対した事はないぞ」



「え?」



「塾を勝手に辞めた時や、中学生の頃、急に夏休みにオーストラリアに一人で行くって言った時も止めなかったし、高校生になってすぐに中退して耕平くんとアメリカでヒッチハイクの旅に出たいと言った時でさえ、父さんは行って来いと背中を押した」



「いやいや、最後のは行かなかったし。笹島の親父さんに二人ともぶん殴られたから…つか父さん、よくそんな事まで覚えてるな」



いきなり黒歴史を掘り起こされ、夕陽は顔に熱が集まるのを感じ首を振った。



「ははははっ。つまりはそういう事だ。父さんは反対しないよ。母さんは多分アレだよ。お前達の状況が自分の過去の経験則にはないものだから、どう助言していいかわからない。未知のものだからだよ」



「未知のもの…」



父は頷く。



「これまで自分の周辺に芸能人と結婚した者や親族になった者はいないからね。色々不安なんだよ。お前はそれをちゃんと説明して母さんを安心させてやればいいんだ。お前がというより母さん自身が不安なんだよ」



「………」



夕陽はそっと拳を握る。



「これからも永瀬さんと一緒にいたいというなら、話し合いなさい。そして考えるんだ。周りの者を安心させる答えを。まだこの国も前時代の風潮が根強くこびりついていて、結婚は家と家を結ぶという考え方が強い。結婚したら女性は家庭を守り、子を産み育むものという考えがまだ当たり前のようにある。そんな中でお前たちなりの結婚感を探すんだ」



「父さん…」



父は机から移動し、窓を開け放った。

冷たい冬の空気が室内を満たす。



「頑張れ。お兄ちゃん」



「サンキュ。父さん。少し気持ちが軽くなった」



夕陽はようやく心から晴れやかに笑った。

正直、まだみなみとすぐに結婚は考えてない。

今の夕陽にはまだ足りないものが沢山あって、それはとてもみなみを守れるほど強くない。


だから今はただ彼女とこれからも一緒にいたい。

それだけを考えて行動しようと思う。

夕陽は心の中で誓った。




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