第8話
「でね、来週から期末テストがあるんだけど全然準備出来てなくて……って夕陽さん聞いてる?」
「………あ。聞いてる聞いてる。って、お前売れっ子なアイドルなんだろう?俺なんか相手に雑談する時間の余裕あんのかよ」
風呂掃除の手を止め、ジワジワくる腰の痛みに耐えながらも夕陽はスマホから響く超音波のような声の主の相手をする。
何の縁か先月、友人に付き合って同行したアイドルユニットのライブで、メンバーの永瀬みなみと偶然知り合いになった。
彼女の落とし物を夕陽が拾い、そこから始まった関係。
確かメッセージのやり取りも、気が向いたらと言っていたのに、夕陽のどこを気に入ったのか、三日と空けず電話をしてくる。
基本的にお人好しで大体の事は許容してしまうので夕陽はどんなに面倒でもスルーする事もせず、しっかり付き合っている。
それがダメなのだろう。
しかし彼女とのやり取りもそれ程苦痛なものでもない。
彼女が一方的に話しているだけなので、聞くだけでいいのだ。
その話題は芸能界の裏事情的なゴシップならまだ興味が持てたのだが、残念ながら普通の女子高生の日常そのものなのだ。
彼女はあまり仕事関係の事は話さない。
夕陽の方からも聞かないので、本当に普通の女子高生と話している気分だった。
「じゃあ明日から撮影あるし、しばらく連絡出来ないかも。帰ったらまた色々教えてね」
「あぁ。わかっ……て、一体何を教えるんだよ。勉強か?」
するとスマホの向こうから笑いを堪えている気配がする。
「違うよ。勉強は自分で頑張るからいいの。色々は色々だよ。まだ全然夕陽さんの事知らないんだもん。例えば彼女はいるのかーとか」
「…んな事聞いてどうするよ」
「えー、すっごく気になるけど」
普通逆ではないだろうか。
一般人よりアイドルの恋人の有無の方が気になるはずだ。
「はいはい。今はいません」
「えー、そうなんだ。派手な顔のわりにあまりモテてないんだね。…あ、もう本当に切らなくちゃ。じゃ、またね。夕陽さん」
「おう」
そうして通話は切れた。
「最後、何かすげぇ引っかかるんだが。それにしても恋人……ねぇ」
最後に彼女がいたのはいつ頃だっただろうか。
昔から長身で顔立ちが整っていた夕陽は女受けが良く、それなりにモテてはいた。
しかしその方面では淡白過ぎたのか、あまり長続きはしなかった。
そう意味で考えると、自分は本当に恋愛というものが何なのか知らないのではないだろうか。
風呂場でスマホを手に、夕陽はしばらく立ちすくんでいた。
☆☆☆
アイドルユニット、トロピカルエース。
永瀬みなみ。
本名 長瀬巳波。
O型。出身熊本県。身長162cm、体重秘密。
「おっ、それ、みなみんじゃん。もしかして夕陽、みなみん推し?」
「わわっ。びっくりした。笹島か。驚かせるなよ」
昼休み。
相変わらずガランとした社食で唐揚げ定食を食べながら、スマホを眺めていると横から笹島が声を掛けてきた。
不意打ちに夕陽は飛び上がるほど驚く。
「あ、そんなに驚いた?メンゴメンゴ。それよりいつの間にみなみ推しになったんだ?」
「別にそんなんじゃないよ。ただ、一度はライブに行ったんだし、改めてどういうアーティストなのか見ていただけだよ」
「へぇー。でも少しでも夕陽がトロエーに興味持ってくれて友人としては嬉しいよ。ちなみにオススメは怜ちんだな」
そう言って乙女乃怜仕様のスマホケースを掲げる。
大きく胸元が開いた制服のような衣装を纏い、こちらを挑発的に見つめている。
トロピカルエースの中ではセクシー系のメンバーだ。
笹島はこういう可愛い+セクシー系の女の子に弱い。
大抵好きになる女の子はこの括りにある。
「はいはい。そうかよ」
笹島には永瀬みなみとの事は言ってない。
言うと更にややこしくなりそうだったので、当分伏せておく事にした。
まさかあの時に拾った指抜きの持ち主がトロピカルエースのメンバーだったなんて言ったらパニックどころではないだろう。
ただ、指抜きの事は彼女の名前を伏せて事情は話している。
そんな笹島は夕陽のスマホを除きながら、何かを思い出すような遠い目をしていた。
「笹島?どうかしたのか」
「いや、みなみんといえばさぁ、かなり悪質なストーカーがついてるらしいよ」
「ストーカー?」
夕陽は怪訝な顔をする。
「いや、ネットの噂だからさ、信憑性はないけど、素人時代からあったみたいでさ、それで学校も一年留年してるって」
「マジかよ…」
テレビで見る彼女はまだ慣れないながらも、眩しい笑顔を浮かべている。
それは電話でのやり取りでも変わらなかったはずだ。
そんな彼女がストーカーに苦しんでいるというのだろうか。
夕陽の顔に翳りが生じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます