第9話「永瀬みなみside*届かない一等星*」

今日は朝から体調が悪かった。


それでも込み上げる吐き気を堪えて何とか仕事場に向かう。

午前の仕事は雑誌の表紙の撮影とロングインタビュー。

午後からは事務所で新曲のレッスンとファンクラブ向けの動画の撮影。


パズルのピースのように一日ぎっしりと詰め込まれたスケジュール。

そのピースの一つである私が少しくらい体調が悪いからといって、穴をあけるわけにはいかない。


頑張らなくちゃ。

私は何でもやれるんだ。

そう何度も自分に言い聞かせ、スポットライトの下に立つ。


それがアイドル、永瀬みなみの日常だ。

そう。この環境を選んだのは自分なのだから。



        ☆☆☆



今日全ての仕事が終わったのは深夜27時。

みなみはマネージャーの運転する車中で半分ウトウトしながらもスマホでブログの更新をする。

ブログはファンへ向けたものなので、あまりプライベートに踏み込んだ事は書き込まないようにしているのだが、仕事の報告だけでは中々記事は埋まらない。

だからみなみは薄く暈す程度に自身の趣味嗜好や簡単なスケジュールも上げていた。


「はい。着いたよ。みなみ」


マネージャーの声にみなみは弾かれたように顔を上げた。


「あっ、すみません」


「最近ちゃんと寝てるかい?顔色悪いぞ」


するとマネージャーは運転席からこちらを向いてみなみの顔を覗き込んだ。


「だっ…大丈夫ですよ。本当に。毎日しっかり食べて寝てますから」


目を合わせるより前にみなみは空元気でそう叫び、追求を避けるように車を降りた。


「そうかい?ならいいけど。明日はどうする?目覚ましコールは」


「んー、一応お願いします」


「了解。じゃあお疲れ様」


「お疲れ様でした」


軽く挨拶を交わし、車は去って行った。

みなみはくるりと半身を翻すと、マンションのエントランスへ向かった。

その時だった。


「巳波っ、久しぶり」


「………えっ?」


突然掛けられた声はみなみと同年代の女の子のものだ。

その声を聞いた瞬間、みなみの表情は凍りつく。


「詩織……」


マンションのエントランスの前には肩までの黒髪に一筋の赤いメッシュを入れた少女が立っていた。

みなみの姿を確認すると、嬉しそうに白い歯を見せてこちらへ近づいて来た。

オフホワイトのレース地のワンピースに淡いミントブルーのサンダル。

お人形のような容姿にお人形のような服装。

彼女の印象はずっと変わらない。


野崎詩織。


何より大切で大好きな親友。

お互いを支え合いながら過ごした日々。

あの時、何も持たなかった空っぽな自分の世界が、彼女で満たされる充足感があった。


そして現在は彼女を苦しめるネットストーカーだ。


「会いたかったよ〜。みなみ」


突然ギュッと抱き締められる。

急な接近と相手の体温を感じ、身体が過剰に反応する。


「や…やめてっ!」


震える声で詩織を引き剥がす。

詩織は何故かわからないという顔をしている。


「一体どうしたの?あたしたち親友だよね。もしかして一般人のあたしの事なんて忘れちゃったの?トロエーのみなみん」


「……っ」


いつからこうなってしまったんだろう。

以前は本当に仲の良かった親友だったのに。

過去を思い出し、みなみは悔しそうに唇を噛み締めた。


詩織はそれでもまるで天使か聖母のような微笑みを浮かべている。


「でも大丈夫だよ。あたしはずっと巳波の味方だよ。親友だもん」


ゾッとする言葉を平気で吐く。

その裏で彼女はみなみを誹謗中傷し、仲間たちを扇動し追い詰めている。

それを知っていながら、みなみはまだ警察に相談するのを躊躇っていた。


「こ…こんな夜遅くにどうしたの?」


みなみは震える手を握り締め、相手を刺激しないよう何とか穏便な声音を出す。


「だって、みなみの仕事が終わるのが遅いから」


「だったら電話とかでも…」


「ちゃんと顔見て話したいじゃん。だから今日のみなみのスケジュールから逆算して、ずっと待ってたのに」


そう言って詩織はスマホの画面を見せた。

それはみなみが更新しているSNSの公式サイトのページだ。


みなみの顔から血の気が引く。


「……どうしてそこまで」


詩織は蠱惑的に微笑む。


「どうしてって、親友に会いたいってだけじゃ納得出来ないかな?まぁ、確かにもう今日は遅いし今回はこれで帰るね。今度は一杯お喋りしよ。じゃあね、バイバイ」


そう言って詩織は妖精のように華奢な身体を翻し、夜闇の中をスキップして去って行った。

終電もないこんな深夜、タクシーも中々拾えないこの周辺。自宅からかなり遠いここまでどうやって帰るのだろう。

しかし今のみなみはそんな心配をしている心の状態ではなかった。


小走りでエントランスを抜け、オートロックを解除し、まだ震える手でエレベーターを操作して自分の家へ避難するように飛び込んだ。


靴を脱ぐのももどかしく、すぐにベッドに倒れ込む。


「怖い…怖いよ。もう限界だよ」


彼女の豹変から他人が怖くなった。

どうしても震えてしまう。

初対面の人間にはいつも防衛本能か過剰に攻撃してしまうせいで、誰からも反感を買ってしまう事はわかっていた。


他人から変に興味を持たれたくなくて、無意識に攻撃してしまうのはアイドルとして致命的といえる。


マネージャーはそんな自分を少しでも改善しようとフォローしてくれているが、グループ内での自分の評価はかなり低い。


「夕陽さん……声聞きたいな」


自分があんな失礼な態度を取ったのにも関わらず、助けてくれた大人の男の人。


あの時手を引いてくれた彼の温もりだけは、何故か嫌な感じがしなかった。












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