第266話「広瀬カイと睦月」

「あれ、涙兎。もう帰ってたの?」



帰宅してから、睦月は何もする気になれず、共用スペースのソファでぼんやりと時間を過ごしていると、しばらくして同居人の広瀬カイが帰って来た。


相変わらずプライベートでも笑顔を絶やさない男で、いつも通り満面の笑みを浮かべながら手洗いを済ませ、リビングに入って来た。


その手にはロケ弁の入った紙袋をぶら下げている。



「うん。今日は新曲の衣装合わせと雑誌のスチール撮影だけだったから案外早く上がれた」



「新曲いつ解禁?」



「情報だけなら月末。配信は来月になるな。今回はCDも同時発売するんで、久しぶりに撮影にも気合い入ってる感じ」



二人がルームシェアをして二年が経つ。

二人揃う話すのは大体今の仕事の事が多い。


勿論全てを話せないが、差し支えない範囲で話している。



「あ、弁当あるぞ。涙兎が好きなカレー。寿司もあるけど食う?」



「うっそ、マジ?食う♡」



カイが紙袋から弁当を取り出すと、カレーの匂いがふわりと漂い、空腹を刺激した。

そういえば今日はロクに食事をしていなかった。


早速テーブルの前に座った涙兎は、広げられていく様々な弁当をワクワクした顔で眺める。



「どうぞ。どれでも好きなヤツ食っていいぞ」




「やった!僕、三好屋のカツサンドも食いたい」



「はいはい、ほら」




カイは呆れたような顔をしながらも、カツサンドのパッケージを開けて睦月に差し出す。


二人を客観的に見ると、普通の男女のカップルのように見える。

しかし睦月は男性だ。


だからただのルームシェアになるのだろう。

二人が同居している事を邪推し、カップルだという噂がある事も知っている。


しかし二人には当然恋愛感情なんてものは存在しない。


それにカイにはずっと片想いをしている相手がいるのだ。


だから噂は事実無根ではあるが、敢えて何も言わない事にしている。



「涙兎、また俺のファンに絡まれてるんだって?」



「あぁ、女の子ばっかだし、そんなの大した事ないよ。カイは心配しなくていいよ」



そう言って睦月はカレーを流し込むように口へ運ぶ。

美少女がカレーを貪る様子は中々シュールな絵面だ。


しかしカイも睦月が男性である事を知っているので、別に何も動じる事はない。



「でも心配なんだよ。いくら相手が女性でも、万が一って事もあるしさ。それに少し前に支倉翔が喜多浦陽菜のファンに刺されたってニュースあったじゃん」



「あー、あれね。あれは僕も気を付けないとって思ったよ。マジで他人事じゃないし」



「わかってるならいいけどさ。お互い秘密を抱える者同士、そこは自衛しないとだよ」



「ん。わかった。気をつける」



睦月はそう言ってカツサンドを頬張った。

その時、カイがソファに置かれた手帳を拾い上げる。




「ん?生徒手帳じゃん。しかも女子の。これ、どうしたの」



「あぁ、それね。今日絡んできた女の子の落とし物」



そう言うと笑顔だったカイの目が剣呑になる。



「これ、事務所に相談した方がいいんじゃないのか?」



「うーん。見た感じそんな害になりそうもないからなぁ。今は放置でいいよ」



カイはまだ睦月に何か言いたそうな顔をしていたが、最後はわかったと言って立ち上がった。



「じゃあ、俺シャワー行ってくるな」



「風呂沸かしたから、湯船に浸かるかはお好きにどーぞ」



「お、それは有り難い」




カイは鼻歌混じりに浴室へ消えて行った。

睦月はテーブルに置かれた生徒手帳を眺める。



「さて、どうするかなぁ…」




        ☆☆☆



「晴之ってさぁ、本当にいいヤツなのに前世モテてないよね。何で何だろう」



「それは俺が聞きたいよ。てかさ、勝ち組になった途端何だよその上から雑魚見下す言い方は」



ここは都内にあるカラオケ店。

同じバラエティー番組で共演した陽菜は久しぶりに晴之をカラオケに誘った。


晴之と遊ぶのは翔と付き合う前だったので、かなり久しぶりに感じた。


その晴之は気持ちよく昭和歌謡を数曲歌った後、コーラをがぶ飲みした。

何となく陽菜の発する幸せオーラが鬱陶しいのだ。


自分からもそう仕向けた手前、それを顔に出す事はしないが、やはり気にはなる。



「雑魚だなんてちょっとしか思ってないよ。もう晴之は自己肯定感低いんだから〜」



「ちょっとでもあれば、それはもう思ってるって事じゃねーかよ。良かったなぁ、ハイスペ彼氏が出来て」



すると陽菜が酒でも飲んだように顔を赤くして晴之をバンバン叩く。



「ハイスペだなんて、そんな凄くないよ。あの人。背も低いし、視力も悪いし、ダサいジャージデフォ装備だし、料理上手いし、優しいし、頭良いし、指細くて綺麗だし、声が甘くてエロいし…」



「……後半すげぇ惚気てんだけど?」



「え?気のせいじゃん」



「あー、マジでクソつまらん。やっぱ相談なんて乗らなきゃ良かった」



「えー、もしかして晴之、私の事好きなの?あー。何気に初キス相手だしね」



陽菜はニヤニヤ笑いながら晴之の肩をツンツン人差し指で突いた。



「いや。お前は俺にとって戦友みたいなもんだよ。だから恋愛したいと思った事はないな。たださぁ、先に大人の階段登って行った事への僻みというか焦りみたいな感じはある」



「えー、何よそれ。つまんない」



「あのなぁ、俺にお前への恋愛感情があったら大変だろ。ったく、ちょっとトイレ行ってくる」



急に居た堪れなくなった晴之は、スックと立ち上がり、個室から出て行った。



「もう。すぐ逃げるんだから」



陽菜はつまらなそうに、山盛りポテトを摘んだ。

しかしすぐに晴之が戻って来た。



「おっ、最速で用を足して来たね。やるな晴之」



「違う!いくら何でも早すぎるだろ。違うんだよ。そこで俺、すげぇの見ちまった」



「すげぇのって何よ」



陽菜はポテトを口に放り込みながら先を促す。



「さっき、乙女乃怜が、イケメンと腕組みながら個室入って行った」




「はぁっ?何それ」



陽菜の口からポテトが落ちた。

















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